私たちと共にある文昭さん
共同代表 平良修さん
この上なく楽しい夢だった文昭さんとの感動の抱擁が実現しないまま、文昭さんは逝ってしまった。
決してそうなってはならないことが、そうなってしまった厳しい現実。
文昭さんがこよなく敬愛した琉球の言葉で表現すれば、〝チムグリサの極み〟である。〝チムグリサ(内臓の痛み)〟とは、悲しみ、痛み、寂しさ、悔しさ、怒り、嘆き、底知れない喪失感。死に至った文昭さんへの、愛するが故の憤り、暁子さんを一人残して逝かせた国家権力への怨嗟(えんさ)。私たちはその〝チムグリサの極み〟を今共有共感している。
その〝チムグリサの極み〟をどのように新しい生へと切り替え、高揚深化させていけるのか。私たちは今、一人の人の生命と引き換えに与えられた新しい課題と可能性に導き入れられている。うなだれているわけにはいかない。この機にしばし留まって深く考えること。その深みから示されるであろう私たちの新しい一歩を踏み出し始めること。文昭さんが文字通り命をかけて追求した沖縄との共生に示された人間の道に突き進むこと。文昭さんは今日も明日も、そしていつまでも、私たちの中に、私たちの前に、私たちの後ろに、そして全面的に私たちと共に生き続けている。
文昭さんと共ならざる私たちというものは、永遠に存在しない。星野さんを取り戻そう! 全国再審連絡会議と共ならざる星野文昭という人もいない。今も後も、そして永遠に。私たちは人間史にこの不動の巨歩を打ち込んだのだ。胸を張ろう! |
佐賀県鳥栖教会牧師 野中宏樹さん
香港では若者たちが立ち上がり、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改悪に反対して大規模なデモが繰り広げられています。
人権と自由が「逃亡犯条例」によって侵害される事を若者たちは危惧しているのです。中国本土では、実際に人権活動家が無実の罪で捕らわれています。そしてこの事態を私は憂えます。けれども、この出来事は決して〝対岸の火事〟ではありません。
1971年の渋谷暴動事件の主犯と〝濡れ衣〟を着せられ無期懲役とされ、徳島刑務所に捕らわれていた星野文昭さんが5月30日に亡くなられました。徳島から移監された東日本成人矯正医療センターで28日に肝臓がんの手術をされ、そのまま亡くなられました。
徳島刑務所は昨年8月、星野さんが倒れた時も全く検査せず、体重減少を放置し、今年3月4日にやっとエコー検査を実施しましたが、結果を星野さんに伝えませんでした。食欲不振を訴えても、硬くて芯のあるごはんを出し続け、寒さ対策も全く実施せず、厳寒の刑務所は星野さんの体を傷つけました。まさに国家による〝虐殺〟です。
獄中結婚された暁子さんと、星野さんが直接触れあえたのは、まさに最期の死の床でした。
香港の若者たちを見ながら、私たちの足もとで正義や道義にもとる、人権と自由が踏みにじられていることを見過ごしてはならないと思います。やがて自分の身に降りかかってきた時には、もう手遅れとなるでしょう。私たち一人一人の今の生き方が問われていると思います。「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい」(第一コリント16:13) |
小林多喜二の帰宅と同じだ
武蔵大学教授 永田浩三さん
星野文昭さんが逝去された。1971年の沖縄返還闘争の渋谷事件で、新潟県警の警察官殺害容疑で無期懲役の判決を受ける。
現場は、私が長く勤務した放送局のすぐ近く。冤罪を確信した私は、再審への検証映像制作のお手伝いをし、裁判所にも提出した。
仮通夜の時、お顔を拝見した。お顔は、星野さんの絵の人物の雰囲気そっくり。眉も目もとも、柔らかく優しい感じだった。
妻の暁子さん、いとこの星野誉夫さんが、最期のようすを説明してくださる。
亡くなる直前、星野さんは、肝臓がんの手術を受けた。手術後の管理は、きちんとなされていたのか。
危篤になってから、ご家族が面会したい、付き添いたいと言っても何度も拒絶された。やっと最後に、暁子さんは手を握ることができた。病床にたどり着くまで、7つもの関門を越えなければならなかった。最初で最後の抱擁。
冤罪はきっと晴れると、皆信じていた。しかし、それはかなわなかった。誰かが言った。これは小林多喜二の無言の帰宅と同じだ!
いとこの誉夫さんが、誇らしく見せてくださったのは、徳島刑務所で文昭さんが作った立派なカバンだった。細かいところまで気配りが行き届いた逸品だった。無念でならない。
この理不尽を、現役の記者やディレクターに、きちんと取り上げてもらいたい。
正義とかけ離れた日本司法救援運動を闘う
キャロル・セリグマンさん
暁子さん。私は、あなたの愛する夫、文昭さんの死を聞き、とても悲しんでいます。日本の「司法」制度が、何と甚だしく正義からかけ離れていることか。
あなたが、家族、友人、そして同志たちによって癒やされることを願います。
連帯、平和と愛をもって。 |
日本政府は死の責任を取れ
コンルータス ファビオ・ボスコさん
私は同志星野文昭の死を知ったばかりです。国際労働者階級は仲間の一人を失ってしまいました!
日本政府には星野さんの死の責任を負わさなければなりません。星野さんの闘いは正義でしたが、彼の裁判は決してフェアではありませんでした。
星野さんたちは、沖縄に対するアメリカの新植民地政策と闘っていました。
星野さんの同志、友人、仲間の皆さんに、星野さんの闘いと彼の生涯に対する私達の強い気持ちを伝えてください。
星野さんの闘いがこれからの世代と国際社会主義を奮起させますように!
同志星野文昭よ永遠なれ!全世界の労働者団結せよ!
◆コンルータス
ブラジルの新自由主義政策を支持する既成のナショナルセンターと決別して結成された階級的ナショナルセンター。ボスコさんは、09年の11月日比谷集会に参加している。(編集部)
やむことのない戦士の精神
無実を訴え闘う死刑囚 ケビン・クーパーさん
最も大切な暁子さんへ。平和と愛、心からのお悔やみを送ります。私の闘いの友であり姉妹である暁子さんの夫、文昭さんの逝去をとても悲しんでいます。
彼の強さ、そしてやむことない戦士の精神、恐れずに真実を語ったこと、そして美しい絵は、すべての人に惜しまれています。
彼の闘いは、自分の命と権利にとどまらず、世界全人民の人権の闘いです。誰であろうと、どこの出身であろうと、全ての人のために闘いました。我々全てが彼の闘いを受け継ぎ続けていかねばなりません。
世界は、まだ彼の闘いを知らないかもしれません。しかし、真の自由戦士であり、我々の友、同志を我々は失いました。彼が安らかに眠られますように。
尊敬と連帯をもって。あなたの友であり兄弟である ケビン・クーパー。
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