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遺志継ぎ国賠 再審勝利へ
新たな星野闘争を宣言

  文昭の獄中44年、73年の生涯を引き継ぎ闘います
 
                           星 野 暁 子さん
 今日は文昭の追悼に多く集まっていただき、本当にありがとうございます。35年前からお世話になっている青柳晃玄さんのお葬式に行きました。心のこもった追悼、決意の言葉をいただき、文昭が皆さんから愛され、惜しまれていることをうれしく思います。
 文昭の死を受け入れられない自分がいます。よみがえるのは、文昭が危篤になってから2日間、ほんとうに生き抜いたということ、最後まで生きようとしたということ、私の手をしっかりと握り、抱きしめあったことです。それは文昭と出会って35年の中で初めてでした。私と仲間を信頼し、これからのことはすべて私と仲間に、とりわけ若い青年たちに託して、文昭は旅立ちました。全てを成し遂げた穏やかな顔でした。73歳で断ち切られたという無念さを思うと共に、文昭の人生は、幸せないい人生だと私は思っています。
 今、強く思うことは、文昭の44年を無駄にしたくないということです。44年です。ふりかけとみそ汁しか出ない徳島刑務所の朝食を食べながら、文昭は全世界のことを思ってきました。
 皆さん、文昭の死、44年の獄中、73歳の文昭の生と死、それを無駄にしないということはどういうことか。考えていただければと思っています。
 私は、国家賠償請求訴訟と第3次再審裁判に勝利することだと思います。そのために、往復書簡集と詩画集を作りたいと思います。
 これから徳島刑務所と更生保護委員会、医療センター、法務省を訴える国賠訴訟、第3次再審をおとし前をつける裁判として、また文昭がいつも言っていた「人間が人間らしく生きられる社会」をつくる裁判としてやっていくのが重要だと思います。私と文昭の兄弟が第3次再審の請求人になります。大坂正明さんの裁判を共に闘い、その地平で再審に勝利しましょう。
 文昭の精神の継承について、私は5点あげました。人間に対するゆるぎない信頼、人間解放のための不断の努力、他者に対する優しさ、どんな仕事でも全力投球すること、そして沖縄への連帯です。これらは文昭の生き方そのものでした。
 私が病気になったことを文昭は自分の責任と考えていました。自らの非を正面から認めて謝り、切開し、そこから自分にとっても、私にとっても、展望がある回答を出してくるような、そんな人でした。
 安倍政権、自民党の絶対得票はわずか18・9%で5割を超えた議席を得たのです。今回の参院選は、民衆の怒りの思いが反映しています。関西生コン支部の労働者が新たに逮捕される中で選挙は行われました。弾圧をはね返し、改憲・戦争阻止を職場、地域から心を一つにやっていきましょう。11月労働者集会に集まりましょう。
 文昭は私の心の中、皆さんの中にも生き続けます。人間解放と星野闘争は私が継承します。私たちには星野文昭がついています。頑張りましょう。

追 悼 の こ と ば
 国家権力に責任取らせる
 
元参議院副議長・再審弁護団 角田義一さん

 文昭さんの訃報に接した時、悲しみより、国家権力に対する激しい怒りが湧き上がりました。文昭さんは国家権力によって殺されたのです! 許せません!
 この犯罪者どもを徹底的に糾弾し、追い詰め、責任を取らせなきゃならないと決意しました。
 更生保護委員会と激しくやりあった。文昭さんの体調悪化を聞いて、何より命の大切さを訴え、一日も早い仮釈放を決定しろと、全国の同志と共に強く要求しました。それに対して全く誠意を示さず、肝臓に巨大な腫瘍が存在したのに。血も涙もない鉄面皮のやつら! お前らの罪は許さない。覚悟しておけよ!
 最後に、暁子さんと文昭さんのすばらしい夫婦愛に改めて感銘を受けると同時に、生身の二人が抱き合ったことを天に感謝したい。暁子さんが文昭さんの遺志を継いで、我々の先頭で闘ってくれることは本当にありがたく感謝します。
 ここに集まった同志は、一人一人が、星野の魂を持って闘い抜くことをご霊前に誓いたい。私は文昭さんにさようならとは言わない。あなたは私たちの心の中に生きているから。皆さん、頑張りましょう!


 新たな闘いに加わりたい
   
在日韓国人良心囚同友会
      金元重(きむうぉんじゅん)さん


 44年ほど前に「学園浸透スパイ団事件」の被告としてでっち上げ事件の被害者になったことから、今日はその立場から一言申し上げたいと思います。
 1ヶ月ほど前、6月27日になりますが、G20に参加する為に大阪に来られたムンジェイン大統領が在日韓国人約400人を招いて晩さん懇談会を行いました。そこで大統領は国家を代表して公式に謝罪を表明しました。
 でっち上げ事件という国家犯罪と司法の誤った判断の判決に対する公式の謝罪を契機に、私たちは被害者救済と拷問加害者処罰を政府に要求していくつもりです。スパイでっち上げ事件に対するこうした大統領の謝罪は私たちが長年望んできたこととはいえ、あの「ろうそく革命」なしには不可能だったのではないかと考えております。
 皆さんの7月6日の全国総会で、国家賠償請求と第3次再審闘争が提起されました。深い悲しみにめげず、こうした新しい闘いの進路が示されたことに対し敬意を表すると共に私自身も微力ながら闘いに加わって行きたいと思います。



 今後も映像通して関わる
  
映画「獄友」監督
       金聖雄(きむそんおん)さん


 2010年に狭山事件の石川一雄さんと出会い、インタビューしました。彼は、自分の人生に悔いはないとおっしゃいました。32年獄につながれ、無実を叫ぶ人が、人生に悔いはないとはどういうことか。そこをひもとくため、ずっと撮影を続けています。
 その中で、足利事件の菅家利和さん、布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、袴田事件の袴田巌さんと出会いました。何でこの人たちは冤罪を抱えながらもこんなに真っすぐすてきに生きられるんだろうか。そういうことを伝えたくて3本、映画を作りました。
 僕にとっては冤罪というのは遠い話だったんですけども、そういう出会いの中で、僕なりのアプローチで作ってきました。
 上映会やいろんな所で暁子さんたちとの出会いがありました。先日、暁子さんから連絡をいただき、僕自身も星野さんを追悼しながら、一緒に考えて突破口を見つけたいと、そんな思いで今日来ました。僕は映画を作る人間なので、今後、映像という形で関わっていければと思います。一緒に頑張りましょう。




 必ずかたきを取ると決意
   
冤罪犠牲者の会事務局 十川正さん

 私たちはこの3月に「冤罪犠牲者の会」を立ち上げました。冤罪事件は今でも毎日と言ってよいくらい引き起こされているといっても大げさでないほど、全国津々浦々で起こっております。私たちは冤罪を作り上げた人たちを謝らせるだけでなく、その犯罪に手を染めた人たちを処罰する法律の制定を求めています。
 星野文昭さんの人生、戦場はほとんどが獄の中での闘いの人生でした。その苦しい状況の中で一歩も引かずに闘い抜いたことに最大の敬意を表します。星野さんの獄中から外の闘いを叱咤(しった)激励する文章が読めなくなったことは残念至極です。実際会えなくなっても私は文昭さんを明るく悼みたい。
 星野さんを獄死させた権力と日々冤罪を生み出している権力は同じです。私はこれからも冤罪を生み出している権力と闘います。星野さんの思いを共にします。何もやっていない星野さんに満足な医療もせず、獄死させた人たちに対して必ずかたきを取ると決意しています。あなたはいつでも私たちといます。安らかにお眠り下さい。
 無実を確信しています
      
武蔵大学教授 永田浩三さん

 私が勤務する武蔵大学前のギャラリーで何度か絵画展をお手伝いさせていただきました。星野さんのお顔は、葬祭場で初めて拝見しました。とても優しい顔で、「星野さんの絵の登場人物だ」と実感しました。
 武蔵大学名誉教授の星野誉夫さんとは大学が同じですから、そこで初めてお話を聞き、そのご縁で再審の証拠として使っていただく映像作りに関わることになりました。
 私の前の職場はNHKです。現場とされているNHKの西門、梅澤米店のあたりは私の勝手知ったる場所です。11月の3時過ぎあたりに、NHKの坂を車が降りる時、何度も車のフロントガラスに明かりが当たって、まぶしかったことを体験として記憶しています。
 今、沖縄でドキュメンタリーを制作しております。星野さんは核抜き本土並みがいかに欺まんに満ちたウソで固めたものであったかということを先駆的に訴えたと思います。今、暴力的に進行している辺野古新基地建設はその表れです。星野さんの遺志を私も末席ながら継いでいきます。






 沖縄に心寄せ通ってます
   
高知・星野さんを救う会 小西文江さん

 私は22日、月曜日から今朝まで沖縄にいました。2004年から沖縄に通っております。星野さんが原点とされている沖縄。沖縄では人間らしい生活を取りもどす為に皆さんが日々、闘っておられます。そのことに私も心寄り添ってこれからも通いたいと思います。
 私はキリスト者でもあります。星野さんの優しい笑顔が今も焼き付いています。彼がその優しさでもって44年もの獄中生活を本当に心が折れずに過ごされたことを尊敬します。そして暁子さんはじめご親族の方々の上に神様のなぐさめと平安があるようにと祈らずにいられません。
 今、沖縄は本当にひどい状況で、力を分散させるために4カ所で抗議行動をしなければならない状況です。海上、そして陸上3カ所です。そこに座って、体を張って新基地建設反対のために日々、行動されています。そこにどうぞ皆様も心を寄り添っていただけたらと思います。
 そのことをもって星野さん追悼の言葉とさせていただきます。ありがとうございます。




 
大きな励ましと勇気得た
     
三里塚反対同盟 伊東信晴さん

 星野文昭さんを暁子さんや家族、仲間の下に生きて取り戻したかった。故北原事務局長が三里塚で会おうと言ってたことを果たせなかったことが残念でなりません。仮釈放を不許可にした徳島刑務所、法務省、国家権力を私たちは絶対に許しません。この国家犯罪の責任を必ずとらせます。
 星野さんは1971年の三里塚強制執行阻止闘争の先頭で闘い抜き、休む間もなく11月沖縄闘争に決起しました。闘いの高揚に恐怖した国家権力はあなたに残虐な報復を集中しました。しかし、あなたは獄中44年、不屈非転向で闘い抜きました。その生き様は私たちに大きな勇気と励ましを与えてくれました。
 この星野さんを先頭とする71年の闘いがあったからこそ、今、三里塚は空港の完成を阻んでいます。星野さんの人間としての誇り高い生き様は星野精神として受け継がれています。あなたの志は、空港隣接の市東孝雄さんの畑に「星の木」としてしっかり根を張っています。農地死守、三里塚闘争勝利に向けて全力で闘います。どうか、しっかりと見守って下さい



 日本の獄中医療は最劣悪
   
八王子中央診療所・医師 山田真さん

 私は救援連絡センターを立ち上げた一人です。医療担当として70年頃は毎週1回ぐらい、何か異常が訴えられれば医療接見に行っていました。狭山の石川さんが糖尿病ではないかということで接見に行ったこともあります。獄中医療は非常に非人道的で劣悪でしたから医療接見は重要でした。
 今回の星野さんについていえば、はっきり徳島刑務所に殺されたと言わなくてはなりません。昨年8月に腹痛で倒れた時、「胃けいれん」と診断されたということですが、ほとんど素人の家庭の医学レベル以下です。「胃けいれん」というのは医学的診断名ではありません。その原因を調べるのが医者の役目なのです。
 その後、体重が減るわけですが、刑務所の中では環境が一定ですから体重の増減はないんです。条件が変わらないのに体重が減るということは異常なことで、その原因が追及されなければならなかった。
 東京に移されてからは、私は手術すべきではなかったと思います。日本の獄中医療は国際的にも非常に劣悪です。何とか改善したいと思っています。
星野新聞第82号 掲載