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7・26集会での発言
星野精神継承し闘おう

  何 事 に も ひ る む こ と な き 魂
 
                        兄 星野治男さん
 実に穏やかな表情をして文昭はいった。それは2019年5月30日午後9時44分のことである。何故に彼は44年間の冤罪拘留(内33年間の徳島刑務所での獄中)という非道な生活の果てにもかかわらず、こうも健やかな姿を私たちの前にさらしていってのけたのか!
 その顔は満足感に満ち、更には達成感の末にしか現れないような寝姿にも見える。そうしていけたのは、彼の人生を全うしていく上での最後の一瞬に彼が到達しえた、あるいは決して希望を失うまいとし、それら(完全無罪)がかなえられると確信するその途上、不意に予想外の要因(死するということ)によって遮断されたために、彼は未だに生の中にあるのを示している。
 彼はその過酷な44年間、獄中から自らの意志と精神を発信し続け、ひるまず徹底させ、その未に或いは結果もしくは最終章としての自らの完成を成し遂げたとの想いでいっぱいであったのか?
 彼は獄中からこの2、3年で出るという宣言を数年前からしており、再審無罪は一点の曇りのない真実で未来永劫動くものではなく、それらは獄の壁を超えて既に達成されているという、いわば精神的境地の高みに上り詰めた心境であった。
 幾度となく繰り返された、たわいなく幼稚な刑務所の懲罰に対しても、彼は達観した面持ちでまるで相手を諭すように、慈悲の心で受け流したのも彼の精神的高みに至る上での肥やしとしたとみて差し支えない。壁の目、天井の目、そして床からの針の目という逆境を逆手にとり、彼はその心を鼓舞し続け、何事にもひるむことなき魂を会得したのだろう。それを証明するのが彼が獄中から発信し続けた強い宣ち位置を正直に、詳細図を描くがごとくに詳しくそして正確丁寧に繰り返し主張した。
   (中略)
 その顔は絶命の危機を乗り越えるという悲壮感など少しも感じられない、否むしろ生への勢いある第一歩を踏み出そうとの希望に満ちた表情をしている。
 高揚感のなかでがんなど手術こそが成功への道であった。だから危篤状態に彼が陥った際でさえ、最高の念願――妻との初の触れ合いの実現にどれほど歓喜しただろうか。その高い精神状況のなかで彼が目にするものは遮るもののない安堵感に満ちた未来でしかなかった。 (北海道星野文昭さんを救う会会報『北斗星』7月1日号から転載)

7・26集会での発言
 「巨大な腫瘍」の責任問う
 
      星野再審弁護人 岩井信さん

 刑務所の中では通常は体重は変わらない。星野文昭さんの体重は57㌔前後で安定していました。
 昨年の8月22日、文昭さんは腹部に痛みを感じて倒れました。徳島刑務所の医務は「胃けいれん」と診断して、1日病舎で療養させるだけでした。しかし、その後もこれまでに経験したことのない食欲不振が続いたと聞いています。
 秋になって、暑さが和らぎ食欲が戻るのかなと期待をしていました。しかし体重がだんだん減っていったわけです。10月には51㌔にまで下がりました。8月に倒れてから外部の病院で検査をせよと繰り返し申し入れをしてきました。気候がよくなったにもかかわらず文昭さんの食欲は回復することはなく、さらに体重の減少が続いたわけです。
 もうすでに昨年の1月の段階で、星野誉夫さんが嘆願書を書いておりました。エコー検査という言葉も使って刑務所に申し入れに行ったんです。しかしエコー検査はずっとなされませんでした。
 3月4日のエコー検査の結果を聞いたのは、昭島にある東日本成人矯正医療センターに移監される前日の夜、4月17日でした。
 もし、3月4日のエコー検査の結果が四国地方更生保護委員会に伝われば、そのまま受刑するのではなくてただちに医療を受ける方向に、仮釈放という方向に動いた可能性もあるわけです。徳島刑務所は、法律に従って更生保護委員会に星野さんの心身の状況について通知をしたのか明らかにしていきたい。
 星野さんの死亡診断書に、「肝右葉の巨大な腫瘍」と書いてあります。「巨大な腫瘍」を作らせたのは誰なのかを明らかにしていきたいと思います。


 獄死強いた全てを許さぬ
      
共同代表 狩野満男さん

 多くの方々から追悼のあいさつをいただき、あらためて星野さんの存在の偉大さについて思わずにはおられません。
 私たちは7月5日、法務省弾劾の抗議のデモに立ち上がりました。翌6日には緊急の全国総会を開き、星野闘争の新たな出発を誓い合いました。獄中44年を尊厳をもって闘いぬいた星野さんの精神を継承して闘うことを誓い合いました。
 今後の闘いについて、まず何よりも星野さんを獄死に追いやったすべてを許しません。徳島刑務所、四国地方更生保護委員会、東日本成人矯正医療センターに対する国家賠償請求訴訟を徹底的に闘います。
 次に、第3次の再審請求です。第3次星野再審は、共同被告の大坂正明さんの裁判と一つに連動します。大坂さんは「私自身も星野さんのやり残した闘いを引き継ぐべく、もっとも近い位置に立つ一人ですから、これをなんとしてもなしとげたいと思っています」と言っています。
 大坂裁判は、星野再審と証拠構造がまったく同じで、膨大な証拠開示がかちとられております。これは私たち星野闘争の力でかちとっているものです。この大坂さんの裁判を私たちの闘いとしてなんとしても勝利させましょう。
 全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部への労組絶滅攻撃の弾圧がかけられています。関生支部は私たちの要請に応じて、星野署名を送ってくれました。安倍政権の戦争・改憲攻撃であるこの弾圧をうち破り、関西生コン支部と共に私たちは闘います。
 一人ひとりが星野文昭さんとなりともに闘っていきましょう。





 青年・学生の進む道示す
     
杉並区議会議員 洞口朋子さん

 星野文昭さんが虐殺されて2カ月、「人間が人間らしく生きられる社会を作ろう」と訴えてきた星野さんの存在の大きさ、尊さを感じています。
 私はこの社会の中で、人生をかけて国家と闘い抜く生き方というのは決して容易ではないと思います。星野さんが無実を訴え、闘いぬいた姿は、資本主義社会の中で生きる私たち、青年・学生の進むべき道を示していると思います。
 今も、連日暴露されている自民党政治の腐りきった姿、労働者民衆の人生、若者の未来が日々奪われています。改憲・戦争を止める闘いは労働者民衆の未来をかけた闘いだと思います。
 沖縄では選挙結果を無視し、民意を踏みにじって、基地建設が強行されています。福島では原発事故に責任を取らない、子どもたちの健康被害を関係ないと切り捨て、東京オリンピックで原発事故がなかったことにしようとしている。2千万人の労働者がワーキングプアに突き落とされ、一握りの資本家が私腹を肥やすこの国の姿。
 命を奪った国家と44年間闘い抜いた星野さんの生き方を、私たち青年・学生が引き継ぎ、暁子さんと共に星野さんの再審闘争、国賠の闘い、そして大坂正明さん奪還の闘いを拡大していくことを決意します。



 青栁晃玄さんに感謝
    
群馬・実現する会伊藤成雄さん

 6月9日、81歳で逝去された青栁晃玄さんは星野文昭さんを取り戻すために人生かけて闘いました。
 71年11・14沖縄闘争への弾圧が群馬に集中する中、翌72年に救援会を立ち上げ、79年には星野さんへ死刑求刑阻止のために新たな救援会へ飛躍させ、98年に「群馬星野さんの再審を実現する会」を結成しました。また、星野さんの元「身柄引受人」としてずっと面会を続けてきました。
 哀悼の意と同時に、権力犯罪追及、星野再審と大坂裁判勝利を固く誓います。
 闘い抜くこと最後に約束
  
星野再審・大坂裁判弁護人藤田城治さん

 今日は星野再審弁護団と大坂正明さんの弁護団両方兼ねた立場で、お話ししたいと思います。
 星野さんのでっち上げと大坂さんのでっち上げは全く同じ構造で、デモ参加者の「供述」だけです。調書は、事件から約3カ月経った後なのに、ものすごく詳細に作られています。
 デモ隊と機動隊の衝突という極めて緊張した状態の中で、そういったことを逐一覚えているというのは果たして自然なことなのでしょうか。警察官から「なぜお前は覚えていないんだ。覚えていないのはお前のやったことを隠しているからだろう」とか、「お前が話さなければお前も殺人罪にしてやる」といった脅迫的な取り調べの中でまさに作りあげられていったストーリーなわけです。それによって星野さんは無期懲役刑にされ、そして今、大坂さんは裁判になっているわけです。私たちは、国家によるでっち上げを暴く闘いに突入していきたいと思います。
 大坂さんの裁判は、裁判員裁判で進められる可能性が高いです。裁判員裁判というのは弁護側の反対尋問の時間が厳しく制限され、手足を縛られながらの闘いです。裁判員裁判を許さない闘いも一体に闘っていきたいと思います。
 私は星野さんと5月24日に接見しました。手術直前の星野さんは、痩せてはいましたけれども、手術に対して自分は闘いぬくという意欲に満ち満ちていました。私も「一緒に闘いましょう」と言って別れたのですが、これが本当に最期の言葉になってしまいました。「闘い抜きましょう」というのは星野さんとの約束でもあります。今後も、そのことを胸に闘い抜きたいと思います。 





 絵の中の少女の眼差し
       
共同代表 戸村裕実さん

 追悼とは、星野文昭さんの生き方にならい、彼の闘いを継承することだと思います。
 全ての根本は、獄中44年、無期刑33年にわたり、憲法36条が「絶対に禁ずる」「拷問及び残虐な刑罰」を継続したことであります。正に国家犯罪です。
 本日の集会を案内するチラシには「アフガン、山の学校で学ぶ」と題された水彩画が描かれております。少女の眼は「あなたは!」と静かにこちらを見つめています。少女の眼差しは何かを訴えているように見えます。まるで文昭さんの訴えが少女の眼光に託されているように思えます。
 この間2年弱、星野文昭さんの仮釈放を求め、暁子さん、誉夫さん、ご兄弟、弁護団、そして再審連絡会議に集う全国の仲間が全力で取り組んできました。大きな解放のうねりを手繰り寄せてきたと感じました。それ故に、文昭さんを失ってしまったことは残念至極でなりません。
 既にご報告していますように、暁子さん、ご家族の決断を受けて再審連絡会議においても去る6日、全国の仲間が集う総会を開き次の闘いを決意しました。
 一つは文昭さんを死に至らしめた徳島刑務所、四国地方更生保護委員会、東日本成人矯正医療センター、法務省にその責めを質す国家賠償請求訴訟を起こすことです。二つ目は、暁子さんらが継承する星野無実の再審請求です。三つめは、大坂正明さんの裁判です。大坂さんの無実を明らかにすることは、星野さんの無実を明らかにすることであります。
 星野精神の継承を、これからも歩んでいきたい。



 
国家権力の理不尽と闘う
     
全学連委員長 髙原恭平さん

 全学連を代表して、星野さんの精神を継承するということで決意を述べさせていただきたいと思います。
 大坂正明さんが昨年、全学連にメッセージを寄せてくれました。大坂さんは星野さんの闘いを示すものとして、「不屈性」の一言でまとめていました。それは、「不屈性ということは、一度決意すればそのあとが保障されるわけではありません。人は何度も人生の岐路とも言うべき決断を迫られる時があります。その都度、闘う道を選択して、その積み重ねが不屈性を作りあげたということでしょう」と書いてありました。
 理不尽と闘うということは本当に困難です。圧倒的な暴力装置を持ち、非常に強大に見え、とても強く見える、そういった国家権力が強制する理不尽、これと人生の殆どをかけて闘いぬいたのが星野さんの人生でした。
 国家権力によって本当に多くの理不尽が強制されています。前委員長の斎藤郁真さんが京都大学でビラを配ったということで、すでに3か月、この先半年近く勾留されるという事態が起こっています。そういうような理不尽と闘っていくことが星野精神の継承ということだと思います。 全学連は共に闘っていきます。




 今後も暁子さんに支援を
       
従兄 星野誉夫さん

 私は、11・14デモは沖縄返還協定批判という目的は正しいが、手段・方法に問題があったと考えています。その点、文昭君と考えは違いましたが、文昭君の人間性をよく知る者として、一日も早く刑務所から出て病気を治療し、暁子さんと生活出来るようにしたいと願ってきました。
 文昭君は、今回、更生保護委員会委員に対し、中核派の活動家として、11・14デモの意義を説きましたが理解されませんでした。
 文昭君の死には、無期刑という誤った判決を下した裁判所、肝臓ガンを放置した刑務所の責任が特に大きい。国賠と新たな再審を準備している暁子さんへのご支援をお願いします。
 ■沖縄・取り戻す会総会
  
平良修さんに感謝の花束

 7月13日、「沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会」第25回総会を開催しました。会場で会員になった方や新会員の参加もあり、運動の成果を実感します。
 冒頭、星野さんが不屈に闘いきった生涯がDVDで流され、黙祷した後に総会を開始しました。
 「この1年、やれる事は全部やった。多くの新たな仲間とつながり、大きな力を生み出し、国家権力を追い詰めた。その上で、権力の星野さん虐殺は絶対に許さない」と総括。活動日誌には要望書集め・申し入れ書提出など連日の闘いを記載しました。
 今後の闘いとして国賠訴訟、再審請求、辺野古強行・戦争へ向かう安倍政権との闘いが提案され、討論後に採択しました。
 最後に、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の共同代表を16年間務め、全国の星野闘争を前進させた平良修さんに感謝の花束を、修さんと一心同体で闘ってこられた平良悦美さんに屋我美智子さんが粗品を贈呈し、お礼を述べました。平良修さんは「沖縄でもっとやれる事があるのでは。沖縄の会は全国に向け何をしていけるか」と問題提起し、悦美さんは「闘いを止めた途端腐っていく。これからも星野さんの闘いを」と語りました。この一年で切り開いた地平を土台に、新たな闘いをスタートさせた総会でした。
 ■東京東部・取り戻す会総会
   
怒りを胸に新たな出発


 7月20日、東京東部の会の総会を13人の参加で開催しました。初めに戸村裕実代表が、星野さんがいない中、運動の前進にむけた討論にしようと提起。権力による虐殺であることを改めて明らかにしました。
 群馬の学生だった会員は、星野さんと会う機会を逸した無念の思いを、エピソードを交えながら涙して話しました。三里塚闘争を共に闘った会員は、星野さんが農民から厚く信頼されていたことや優しい人柄が語られました。星野さんと面会した教育労働者は、獄中にあっても労働者と共にある姿や、思いやりに感銘を受けたと語りました。
 討論で、要望書を寄せた数百の人たちに働きかけて運動を広げること、東京拘置所の大坂正明さんの無罪・釈放を星野・大坂闘争として取り組み、差し入れに行こう、絵画展を開催しようと確認されました。悲しさ、悔しさ、怒りを胸に、新たな出発の総会でした。
 ■香川・取り戻す会
    
更生保護委へ弾劾の申入


 7月8日、香川・星野文昭さんを取り戻す会は、星野さんを獄死させた四国地方更生保護委員会に怒りの申し入れを行いました。
 全国総会で「星野さんを獄死に追いやった徳島刑務所、四国地方更生保護委員会、法務省、安倍政権。極悪の国家犯罪を弾劾する」と訴えられました。私たちは全国の仲間の怒りを四国地方更生保護委員会にたたきつけました。
 星野さんの仮釈放を不許可にした四国地方更生保護委員会の井坂巧委員長、徳島刑務所の平良敦志所長を徹底的に断罪し、その責任を追及し続けます。
 星野暁子さんは、①星野さんの無念を晴らす国賠、②殺人罪のでっち上げを明らかにする第3次再審請求、③政権打倒の闘いで「人間が人間らしく生きられる世の中」を求めた星野さんの生涯かけた全てを引き継ぐと戦闘宣言を発しています。暁子さんと共に星野精神を継承し、「真の人間解放」を勝ち取るまで闘っていきましょう。

星野新聞第82号 掲載