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星野文昭さん 獄中44年貫き逝く
遺志を継ぎ人間らしい社会つくろう
力を込め手を握り返す 生きるため最後まで闘う
 5月30日午後9時44分、星野文昭さんが東日本成人矯正医療センターで亡くなりました。獄中44年、73歳でした。5月28日の肝臓がんの切除手術が成功したと報告されてわき返りましたが、翌朝には「周術期出血に伴う急性肝不全で重症状態」と伝えられました。実に悲しく、悔しい。星野さんの遺志を継ぎ闘おう。


文昭さんの遺体が納められた車を背に、星野暁子さん、星野治夫さん、星野誉夫さん
 
 星野文昭さんの肝臓がんは14×11㎝の巨大なもので、肝臓の5割を摘出する大手術となり、5時間かかりました。
 一旦は手術成功の報に皆がわき返りましたが、翌朝には容態が急変。最愛の妻・暁子さんをはじめ家族、友人、支援者、弁護団も医師もかけつけ見守る中、星野さんは必死に生への格闘を続けました。
 星野さんと暁子さんは、アクリル板越しではない面会が結婚33年目にして初めてできました。星野さんは暁子さんの手を強く握り返し、呼びかけに何度もうなずきました。暁子さんは星野さんの身体をさすり、抱擁しました。
 医療センターは当初暁子さんと誉夫さんを10分の面会が終わると、外へ出ることを強制していました。急を聞いてかけつけた岩井信弁護士が、この事態に怒り、医療センターを激しく弾劾。暁子さんたちは常時、医療センター内にいられるようになりました。外では、多くの支援者が「星野さんがんばれ」と懸命に応援を続けました。
 5月30日午後9時44分、星野さんは帰らぬ人になってしまいました。
 翌5月31日午前10時10分過ぎ、星野さんの遺体が医療センターから運び出されました。暁子さん、兄の星野治男さん、いとこの星野誉夫さんが付き添い、多くの支援者に見送られて星野さんは仮通夜会場に運ばれました。この日と翌6月1日の2日間、星野さんとの対面する場が作られた会場に、訃報を聞いた全国の仲間が途切れることなく訪れました。
 星野さんは71年沖縄闘争を闘い抜いたリーダーでした。「殺人犯」にでっち上げられて監獄にとらわれながら、国家権力の不正義を追及する不屈の闘士でした。今のデタラメな社会に怒り、変革を志す人々の希望となり、世界の星野闘争へと発展しました。
 最後の2年間は、だれもが「奇跡」を信じて星野解放を目指し、運動が飛躍的に広がりました。
 その星野さんが亡くなったのは本当に悲しく、悔しい。星野さんが全生涯をかけて示した闘いの道、「人間が人間らしく生きられる社会の実現」にむけ、歩み続けましょう。

  怒りを解き放つ
 7・5法務省包囲包を闘い 7・6全国総会の成功を
 星野文昭さんを死に至らしめた安倍政権・法務省に怒りを叩きつける法務省包囲デモを7月5日にやり抜こう。翌6日の全国総会で、星野さんの遺志を引き継ぎ、再審貫徹・人間らしい社会をめざす闘いへ、徹底して討論し、新たな闘いに打って出よう。全国からの参加を訴えます。
 5月30日、星野さんは東日本成人矯正医療センターで生きるために最後まで全力で闘いましたが、無念にも息を引き取りました。
 安倍政権の国家意思を体現する法務省が、星野さんを死に至らしめたのです。徳島刑務所の星野さんに対する許しがたい医療放棄、残虐な刑罰を44年間も星野さんに強いたのです。

徳島刑務所の医療放棄弾劾

 星野さんは昨年夏の猛暑で体調を崩しました。それ以来、星野さんの体重は激減し、星野さん自身ががんを疑うほどの深刻な事態に至ってました。家族・弁護団も、「原因究明の検査と医療データの開示」を再三要求しましたが、徳島刑務所は一切拒否しました。
 徳島刑務所は、今年3月4日になってからようやくエコー検査をしましたが、その結果を星野さんに告げず、4月17日夜に「エコー検査の結果、肝臓に問題があり、医療センターに移監する」と告げたに過ぎないのです。この時、すでに巨大な肝臓癌であることがわかっていたのです。しかも、これほど巨大な肝臓がんであれば、衝撃によって破裂し、死に至る危険があるにも関わらず、10時間も中古のオンボロ車でデコボコ道を走って、昭島市の医療センターまで走行したのです。これ自身も殺人的行為で、断じて許しがたい。

44年もの投獄は残虐な刑罰

 無実の星野さんを44年間も投獄すること自体がとんてもない残虐な刑罰そのものです。終身刑の判決で投獄されていたネルソン・マンデラ氏は、世界的な批判を受けて釈放されましたが、獄中は27年なのです。獄中44年はいかに長いのかあらためて怒りを覚えます。
 刑法は、無期懲役囚であっても、「10年を経過した後、…仮に釈放することができ」、その申請者は刑事施設の長と規定しています。しかし、星野さんは服役してから33年も経過しているにもかかわらず、徳島刑務所は一度も仮釈放を申請したことはありません。
 また、服役30年後に義務的な仮釈放審議が行われた際も、本年3月25日付で不許可にしたのです。法務省・検察官が、星野さんをマル特無期対象者として、仮釈放に応じなかったことは間違いないのです。

怒りの法務省包囲デモへ

 星野さんの遺志を受け継ぎ、星野さんの生命を奪った法務省に怒りをたたきつける7月5日の法務省包囲デモに断固として立ち上がろう。そして、翌6日の星野再審全国会議主催の総会で徹底討論し、新たな方針を打ち立てましょう。


   星野新聞第78号 掲載
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