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仮釈放不許可に怒り杉並で集会
国際連帯で新たな大運動を


 日米労働者市民連帯を呼びかける「4・12星野解放集会」が、「星野文昭・暁子 絵と詩展」実行委員会(星野さんを取り戻そう!東京連絡会、杉並星野さんを救う会などが参加)主催のもと、4月12日、阿佐谷地域区民センターで開催されました。集会には仮釈放を認めないことへの怒りが結集しました。

 最初のあいさつで星野暁子さんは、四国地方更生保護委員会による仮釈放不許可を批判し、逆境のなかで頑張っている文昭さんと共に闘う決意を明らかにしました。(発言要旨別掲)
 藤田城治さん(星野文昭再審弁護人)は、講演「星野文昭さんの仮釈放の実現に向けて」の中で、文昭さんの仮釈放に向けた弁護団、家族、再審連絡会議に結集した人々の闘いがあり、文昭さんを仮釈放しない理由は何もないにもかかわらず、仮釈放しなかった委員会の判断は、検察官の圧力に合わせたものであり、更生保護委員会の本来の役割を放棄したものであること、不許可の理由を説明しないのは受刑者の改善更生という目的に反する運用であることを指摘しました。
 また、今後なすべきこととして、①更生保護委員会に対し、仮釈放しない理由の説明を求める、②刑務所長に仮釈放を働きかける、③文昭さんの健康の確保のため、刑務所へ働きかける、④「無期の終身刑化」反対の運動を続ける、⑤大坂さんの無罪と文昭さんの再審無罪を勝ち取ることなどを指摘されました。
 次に登壇したステイーブ・ゼルツァーさんは、アメリカのジャーナリストで、長い間、星野文昭さん解放運動を闘っている方です。
 今回、「労働者階級の政治犯 星野文昭のための闘争 いかにして解放をかちとるか」という演題で話されました。
 以下、その要旨です。
 ムミア・星野解放で合同集会を
      スティーブ・ゼルツァーさん
 現在の米軍基地撤去の闘いは、日米安保との長い闘いとつながっています。この日米安保こそ、星野さんが闘ったものです。1960~70年代、特に反米軍基地闘争、反帝国主義闘争は決定的でした。支配階級は青年の反戦運動を破壊し、全世界での米軍の侵略に対する反対運動を抑えようとしたのです。だから、支配階級にとって、星野さんの存在は今も脅威なのです。
 無実なのにフレームアップで殺人犯にされることはアメリカでも起きています。特に黒人、非白人に多い。ケビン・クーパーさん、ムミア・アブ=ジャマルさんなどのフレームアップ事件と私たちはアメリカで闘っています。
 1925年に設立されたILD(国際労働救援会)は、労働運動と労働者階級の政治犯を守るために闘いました。サッコ・バンゼッティのような政治犯、労働運動で逮捕された人々などを思想の違いをこえて救援しました。我々は、星野さんや世界中の労働者階級の囚人のために、ILDを再建し、統一戦線を築く必要があります。
 我々はアメリカで星野さんのことを労働者に伝え、星野さん解放への支持を作り出す闘いを訴えます。労働組合に働きかけ、サンフランシスコ労働組合評議会で星野解放を求める決議をあげるようにします。また、全国再審連絡会議を7月のレイバーフェスタにお招きします。ムミア・星野解放のための労働組合の役割についての合同集会を提案します。
 我々の星野解放闘争は星野さんが解放され、一緒に新たな世界を実現する闘いができるようになるまで続きます。ムミア解放闘争もそうです。我々の兄弟であり、同志である星野さんの解放のための全世界的な闘いを決して止めません。星野さんを今すぐ解放せよ!
 戦闘宣言発した文昭と共に
    星野暁子さん(発言要旨)
 仮釈放が「不許可」になった時、文昭は面会で「僕は逆境に強いからね。こういうことがあると、かえって元気が出るんだ。勝利まで闘う」と言いました。体調不良の中で、笑顔でこんなことを言う文昭の心情を思うと涙が出ます。
 私が文昭と一緒に生きてきて、一番辛かったのは1987年の無期確定の時でした。今回の「仮釈放不許可」は第2の試練だと思っています。でも、あの頃と全く違うのは、今は多くの友人、仲間がいて、我が事として一緒に怒ってくれているということです。文昭は皆さんの激励を受けて、どんなに心強く思っていることでしょうか。
 厳しいのは、72歳という文昭の年齢と、体調が不良だということです。獄中で体調を崩すということは、苦しいことです。文昭が体調を崩したのは、昨年の夏の暑さのせいもありますが、専用ミシンもない中で製品にまで作り上げたカバン作りが、最大のストレスだったのではないかと思っています。文昭が健康を取り戻すことが、文昭と私の目下の最大の課題です。
 文昭に、あまり頑張らないようにと、きつく言わなければなりません。そして、毎週の手紙、毎日の葉書、日常的な写真の差入れをしっかりやっていこうと決意を新たにしています。
 この2年間、私たちは仮釈放を勝ちとるため全力で闘いました。やればやる程成果が生まれ、次の道が広がるというのが星野闘争であることを実感しました。「不許可」という判断によって、この創り出した闘いの大きさが閉ざされたわけでは決してありません。むしろ、勢いづいた運動は、次の運動の広がりを求めています。
 4月15日、家族、弁護団、運動の代表、予定していた全員が高松に行き、私たちは誰が出てこようと、組織としての更生保護委員会に、仮釈放「不許可」の理由を問いただし、だまし討ち的な「不許可」の判断に、全力で抗議します。
 そしてこれから、星野文昭を取り戻すために、どのように運動を進めていくかについて討論する必要があります。4月28日、池袋の「としま産業振興プラザ」6階で討論集会を行います。200人以上入る大きな会場です。会員でない方も、昨日まで星野文昭を知らなかったという方も、どしどしご参加ください。
 「不許可」の判断を、私は冷静に受け止めました。次はどう闘うかを考えました。次は徳島刑務所長に要望を出していくこと、そして再審と仮釈放を一体で取り組んでいく、この二つを考えました。さらに、時間が経つにつれて私が思っているのは、徳島刑務所、更生保護委員会の背後にある法務省、国家権力の意志ということです。そこを相手に闘っていくということです。
 日本の「再審のあり方」「仮釈放のあり方」は、海外から見れば「理解できない」と一笑されるほど、立ち遅れ、封建的なのです。ともに闘う人々とも力を合わせ、すでに戦闘宣言を発した星野文昭と共に、私も先頭に立とうと思います。

   星野新聞第76号 掲載
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