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洞口朋子さんが上位当選 この勝利を星野さん解放へ
                               共同代表 狩野満男
  私が住む杉並の地から、30歳、元全学連の若き闘士ほらぐちともこ(洞口朋子)さんが区議会議員選挙に挑戦しました。そして新人ながらも、見事に初当選を勝ち取りました。48議席中18位、3275票の歴史的大勝利です。阿佐谷で行われた選挙戦には星野暁子さんも駆けつけて、洞口さんへの投票を熱烈に訴えました。
 これまで星野闘争をともに闘ってきた洞口さんが、私たちの議員として星野闘争の戦列に加わることで、杉並や東京全体の闘いが大きく発展して行くことは間違いありません。星野文昭さんも喜ぶ本当に大きな勝利です。
 今回の選挙戦にあたり、私たちは星野絵画展をその中心にすえることを決断しました。東京全体の救援会の全面的な協力のもとに、絵画展を杉並各地域5か所で開催することができました。杉並区全域をカバーする、高井戸、西荻窪、井草、方南、そして阿佐谷です。私たちの運動の拠点である阿佐谷での開催最終日を、選挙告示日の4月14日に据えました。
 ここで大きな力を発揮したのは、何といっても要望書署名です。獄中44年を不屈に闘う星野さん解放を訴え、要望書を書いてくれた人に「そのためにも、洞口さんの当選が必要」と呼びかけました。多くの人が快く投票を約束してくれました。それは星野さんが紡ぎだした一票なのです。戦争に反対し、沖縄を闘い獄中44年を生き抜く星野さんのその生き方が安倍政権そのものを打倒する声となり激励と期待の票に転化していきました。

 
政治的焦点の杉並区の闘い

 杉並区は東京全体のなかでも常に政治焦点の中心地として位置づけられています。歴史的には70年代前後を起点とする安保・沖縄、反戦闘争の爆発、発展を担い、そのなかから様々な運動が杉並のなかに形成されてきました。この源泉は1954年のビキニ環礁水爆実験での第五福竜丸被爆を契機とする、杉並から始まった水爆実験禁止運動に示されています。この運動は瞬く間に全国に広がり、当時の日米政府を震撼させました。今日では福島での原発事故の教訓をもとに「すべての原発なくそうNAZEN運動」として全国化され、杉並がその重要な活動拠点になっています。
 そして何よりも星野救援運動が杉並で始まったことです。暁子さんが在住し、星野さんの弟、修三さんもアーティストとして杉並を拠点に活躍されてきました。杉並で始まった絵画展実行委員会形式は中野区、世田谷区にも広がり、杉並の中にも地域住民の救援会として「星野さんを取り戻そう高井戸の会」が組織されています。私たちはこれらの前進と洞口さん勝利を一つにし、ここから新たな星野奪還運動をつくり出していきます。
 私たちは年度内の仮釈放を実現し、星野さんの解放を勝ちとるため全力で闘いぬきました。この3月、だまし討ちそのものの仮釈放不許可は、2万人に迫る要望書の切なる声を裏切り、全人民を敵にまわしたことを宣言するものです。安倍政権そのものと化している法務省、検察組織そして更生保護委員会の虚偽を徹底的に暴露し、新たな運動の拡大、飛躍を実現して、星野さんを取り戻そう。


   星野新聞第76号 掲載
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