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「天神峰カフェ」に参加して
星野さんを「星の木」に分骨

 10月27日、三里塚・芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さん宅の離れにある庭で「天神峰カフェ」が開かれ、私たちも参加して星野文昭さんの分骨を行いました。
 反対同盟を始め、芝山町や横芝光町の住民、動労千葉、東京なんぶユニオン、婦人民主クラブ全国協議会等60人が集まり、パンやお菓子、手作りのおかずを食べながら、発言と交流が続きました。作業所にしおぎ館のクッキーも配られました。参加者は、成田空港がこの日から夜間飛行を深夜12時まで延長することを弾劾し、周辺住民と共に打ち破ろうと表明しました。
 星野暁子さんも発言に立ち、星野文昭さんの分骨に込めた決意を語りました。共同代表の戸村裕実さん、狩野満男さんや救援会の仲間が、星野さんへの思いと共に闘う決意を表明しました。
 忙しい農作業の合間に駆けつけた萩原富夫さんもマイクを握り「星野さんの44年と場所は違うが励まし合いながら闘って来ました」と訴えました。市東さんは「星野さんと面会できなかったのが残念です。星野さんの闘いを見習いながらここで闘って行きます」と決意を語りました。
 カフェには、沖縄万人の会の力で星野さんを取り戻す会事務局長の和田邦子さん、大阪・星野文昭さんをとり戻す会、婦人民主クラブ全国協議会代表の三浦正子さんからメッセージが寄せられました。全体で記念写真を撮った後、周辺住民への宣伝活動を行う人たちは出発しました。
 畑の一角にある「星の木」の前に移動し、星野文昭さんの遺骨を埋めました。根本に掘られた穴に暁子さんが小さな骨壺を入れて土をかけました。これに続いて参加者一人ひとりが星野さんへの思いを込めて土をかけて行きました。土の膨らみの回りに竹筒を埋めて花をそなえ、暁子さんが用意した線香に火を付けて手を合わせました。 市東さんの離れに戻って星野救援会としての交流を行い、①国家賠償請求訴訟、②第3次再審請求、③星野さんの意思を継承して闘うという3つの方針を明確にしました。当面する最大の闘いである11月3日の労働者集会の成功を共に成功させようと確認して、現地を後にしました。
 この日の分骨によって反対同盟との団結はいっそう固いものになりました。「星の木」を守り抜き、市東孝雄さんの農地の収用を絶対に阻止しましょう。

 星野暁子さん発言要旨 これまで集会には何回も参加していますが、初めて天神峰カフェに来ることができました。文昭は1971年の強制代執行阻止闘争を闘いました。2007年に北原鉱治事務局長が面会した時に「出獄したら三里塚に来い」と言い、文昭も「出たら必ず行きます」と答え、これが二人の約束になりました。
 遺骨を「星の木」の根元に埋めます。ようやく二人の約束を果たすことができてうれしいです。強制収用を阻む砦として「星の木」を守り、市東孝雄さんと共に闘って行きます。

星野新聞第88号 掲載