いつまでも私たちと共に
共同代表 戸村裕実さん
文昭さん、手術後の出血が止まらないという緊急事態にただ祈るしかありませんでした。残念無念です。
解放の喜びを分かち合い、生地札幌、暁子さんの山形、平良さんご夫婦の沖縄、そして三里塚の地に立つ事を実現させたかった。
文昭さんとの出会いは三里塚です。私が駒井野から南三里塚・長原公民館へ移った時、既にそこで活動していた文昭さんを知るのです。反対同盟の皆さんに絶大な信望を得ていました。
文昭さんは、国家の理不尽な攻撃を受け、抑圧される人々に心を注ぎ、寄り添い行動する人でした。権力の横暴を見過ごせない、無私で他人に思いを馳せる方ですね。徳島刑務所でも、全受刑者の益を考え、振る舞い、結果、自分が不当な懲罰を受けますが、整然と主張する姿は他の受刑者から感謝されたと聞きます。
今、沖縄、三里塚で、これでもかと人々をたたきつける国の姿、容赦できませんよね。71年の三里塚、沖縄の激闘を担い、その報復弾圧を一身に受けた文昭さん。再審無罪を勝ち取らねばなりません。徳島刑務所、四国更生保護委の罪責を問わねばなりません。
闇を照らす夜の星はやがて暁へと引き継がれます。まさに「ほしのふみあきこ」です。いつまでも私たちと共にあってください。
私たちも天空の星を仰ぎます。再審無罪、そして、あなたの闘いと共に私たちも一緒にあります。安らかに、安らかに。
終わりではなく始まり
再審弁護団 主任弁護人 岩井信さん
今年4月、星野文昭さんが東京・昭島の東日本成人矯正医療センターに来たと知らされ驚きました。すぐに医療センターに行き、接見しました。星野さんの顔は痩せていました。昨年12月に徳島刑務所で接見した時よりも顔がさらに小さくなった気がしました。
私は星野さんに「手術を成功させ、徳島刑務所の医療過誤、放置、隠蔽を明らかにし、仮釈放を再度求めましょう」と言いました。星野さんはにこにこと聞いていました。
5月29日、医療センターの医師は、「今晩にも亡くなる可能性がある。血圧が低く、輸血では難しい」という説明をしました。
そうならば「一晩、暁子さんがそばにいて、文昭さんの手を握り、暁子さんの生命力を伝えさせてくれ。これは医学的に必要な力だ」と、私は刑務官に申し入れました。その結果、一晩、医療センターの中の弁護士控え室に暁子さんと誉夫さんが入り、待機することになりました。
死亡診断書の手術の有無を書く欄には「巨大な腫瘍(しゅよう)に対して切除術を行った」とあり、「巨大な腫瘍」とあります。腫瘍を巨大にしたのは、検査せず、無視した徳島刑務所などの当局の責任です。この責任を追及し、再審を続け、再審無罪に向けて真実を明らかにします。
きょうは終わりではなく、始まりです。今、星野さんは私たちの目の前にいます。私たちは、暁子さんと共に、あなたと共に闘っていくことを誓います。
基地のない沖縄を目指す
沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会
和田邦子さん
手術成功の一報を聞き安堵(あんど)し、あとは仮釈放を実現し、外部の病院で暁子さんのそばで療養できるようにがんばろうと思っていました。医療センターに移り、「ちくわと野菜のおかずが出た。部屋から少しだけ空も花も見える」と喜ぶ文昭さん。こんな当たり前のことにこんなに感動するほど刑務所の生活がひどかったのですね。胸が痛みます。
世界で一番強い精神力を持ち、思いやりがあり、光り輝く生き方をした星野さんを国家権力が殺したのです。この悔しさと怒りを晴らさずにいられようか! 体調悪化を訴え続けたのに放置し、獄死させた国のやり方を多くの人に伝えようと、先日当会で声明を作り辺野古で配布。多くの方が声をかけてくれました。
文昭さんと暁子さんは「私たちの役割はみんなを励ますこと」と常に語って、その通り、優しさと希望の詰まった絵で生きる勇気を与えられてきました。
星野さん解放の闘いで多くの人々と出会い、皆が自分の未知の力を発揮しました。星野さんの無念さ、悔しさ、闘志を私たちは引き継ぎ、全国・世界の仲間と共にこれまで以上に闘います。核も基地もない沖縄を、「人間が人間らしく生きられる社会」を目指します。すばらしい生き様を見せてくださりありがとうございました。 |
人間解放の未来を照らす
共同代表 狩野満男さん
星野文昭さん。私たちはあなたを失って今、計り知れない失意の中にあります。本当に悔しくてなりません。あなたの命を奪い去ったすべてを私たちは絶対に許しません。そしてあなたを守り取り戻せなかったことをお許しください。本当に申し訳ありません。
しかし今、あなたの魂は私たち、そして私自身の中に宿り、火をともし、よみがえろうとしています。「沖縄への理不尽に黙することなく立ち上がったことで人間になれた」と星野さんが語ったように、私は私自身が星野文昭となって闘うことを誓います。
あなたを取り戻す闘いの始まりは暁子さんとの出会いでした。最高裁上告棄却の日に生まれた娘を暁子さんは我が子のようにいとおしんでくれました。そして西荻窪での初めての街頭宣伝を始めたのが運動の始まりでした。便せんいっぱいに記されたあなたからの大切な手紙を暁子さんは嬉しそうに見せてくれました。これ以上ない愛情と社会変革への情熱がびっしりと記されていました。
星野さん。あなたの闘いと魂は階級闘争の歴史に刻まれ、そこに留まりません。今、まさに全国全世界の労働者人民の魂を揺さぶり人間解放の希望と未来を照らしています。国内外からの弔意にはこの思いがあふれています。星野さん。私たちはあなたを引き継ぎ新たな闘いへと突き進みます。星野さん。安らかにお眠りください。
心配るすばらしい指導者
三多摩星野文昭さんを救う会 大畠信子さん
2019年5月30日午後9時44分、星野文昭さんは亡くなられました。73年の人生の中で、44年を獄中に生き、非転向を貫き、最後までがんと闘い抜いて亡くなられました。危篤状態になってからも闘い抜く強さを感じ、奇跡が起こるのではと願いましたがかないませんでした。無念です。
人間が人間らしく生きられる世の中を作るために、その生涯をかけて闘い、44年捕らわれていても、最前線で闘い抜かれたのです。私たちは忘れません。この社会を変革するまで闘い続けます。その遺志は必ず引き継ぎます。5月30日深夜、昭島医療センターに入った暁子さんを待ちながら、私は誓いました。
5月23日から開催した昭島での絵画展には270人余が訪れ、多くのカンパも集まり、『星野新聞』読者も増えました。最後となった暁子さんへの手紙で、「昭島絵画展は成功すると思うよ。みんなが僕に会いに来るだろう」と書かれていました。病床にありながら、常に皆に心を配る星野さんは、すばらしい指導者だったのだと改めて思いました。
44年間獄中にありながら国家権力を震かんさせ続けた不屈の革命家星野文昭さん。その遺志は必ず引き継ぎます。暁子さんと共に闘い続けます。
遺志を引き継ぎ闘い抜く
革命的共産主義者同盟 木崎冴子さん
星野文昭さん。あなたを生きて暁子さんのもとに、労働者民衆のもとに奪い返すことができませんでした。断腸の思いです。
星野同志、あなたは44年間、一日も絶えることなく非転向で闘い続けました。世界の労働者階級闘争史において、類例のない壮絶な国家との闘いでした。
獄中からのメッセージには、いつも基地も戦争も、搾取も抑圧もない、人間が人間らしく生きられる社会を訴え続けました。そのあなたの命を国家権力は奪った。この国家犯罪を未来永劫(えいごう)許さない。
国家権力は、なぜあなたの命を奪ったのか。それは、70年安保・沖縄闘争に貫いたあなたの魂が、沖縄の地にマグマのようになって伝搬しているからです。それが沖縄の地にいよいよ大きく根付き発展していることに国家権力は死の恐怖を感じたのです。しかし、命を奪うことは絶対に許せないことです。
あなたが成し遂げた歴史的な偉業は、必ずや全国・全世界の人に引き継がれると共に、獄死攻撃をもって一層沖縄の闘いは発展することを確信しています。
星野同志。あなたの生涯の全意志を引き継ぎ、暁子さんと全国全世界の人々と共に、再審を貫徹し、権力犯罪を断罪し、あなたが求めた社会を実現するために全身全霊かけて闘い抜きます。万感の意を込めて感謝を述べたいと思います。 |