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千人の参列者 星野さん送る
国家犯罪を絶対許すな

 星野文昭さんの通夜と葬儀告別式は、怒りを胸に新たな闘いを開始するものとなりました。私たちは星野さんを死に追いやった国家犯罪を絶対に許しません。
 7月5日に法務省包囲デモを行います。翌日には都内で全国総会を開き、新たな運動方針を決定します。全国から集まってください。


      祭壇の前で文昭さんに語りかけるようにあいさつをする星野暁子さん(こちら向き左)、 兄の星野治男
         さん(中央)、いとこの星野誉夫さん(右)(6月8日 東京・杉並区「光明院」)


      葬儀告別式あいさつ 喪主 星野暁子さん   弔 辞  弔電・弔文・メッセージ  海外から
  星野文昭さんの通夜が6月7日に、葬儀告別式が8日に、東京都杉並区の光明院で行われ、1000人以上が参列しました。会場に入りきれない150人以上が式場外に並びました。
 星野さんを生きて取り戻せなかったことは、本当にくやしく、痛恨のきわみです。参列者は星野さんのひつぎを目の前にして、彼を死に追いやった徳島刑務所、医療センター、更生保護委員会を徹底的に追及し、必ず責任を取らせる新たな闘いを誓いました。
 式場の入り口には、星野さんの子どもの頃や学生時代の写真が飾られ、徳島刑務所で精根込めてつくったカバンも展示されました。一針一針ていねいに縫い上げられたミシン目に、星野さんの人柄を感じることができました。
 祭壇は白が基調の花で飾られ、その回りを60以上の供花が埋めました。中央に星野さんの写真。彼の絵5点も飾られました。星野さんのひつぎは少し傾けられ、最後の対面ができるように配慮されました。
 参列者の黙祷(もくとう)の後、星野さんの73年の生涯と闘いを振り返るビデオが上映されました。
 通夜では共同代表の狩野満男さん、沖縄万人(うまんちゅ)の会の和田邦子さん、三多摩救う会の大畠信子さん、革命的共産主義者同盟の木崎冴子さんが追悼の辞を述べ、葬儀告別式では岩井信主任弁護人、共同代表の戸村裕実さんが立ちました。岩井弁護士は、生きるために闘う星野さんの姿と医療センターの対応を具体的に紹介し、改めて怒りがこみ上げてきました
 星野暁子さんが喪主としてあいさつに立ち、「文昭と一緒に生きた33年、幸せな、いい人生でした。あなたは今日、旅立つけど、これからもずっと一緒です」と呼びかけました
 総計69の弔電と弔文が国内外から寄せられました。その紹介の後、音楽家の丸尾めぐみさんが「ソリダリティ」等をピアノで演奏する中、参列者が次々に献花して最後の別れを告げました。星野さんのひつぎは星野のぼりと革共同の旗で包まれて車に乗せられ、暁子さんが助手席に座って斎場に向かいました。
 葬儀は新たな闘いの始まりです。「人間が人間らしく生きられる社会」を訴え続けた星野さんの意思を継ぎ、改憲・戦争を阻止し、安倍政権を倒そう。
 7月5日には、星野さんを死に追いやった国家犯罪を追及する法務省包囲デモを行います。徳島刑務所や医療センターの背後にいた法務省に怒りを叩きつけましょう。
 7月6日には、全国総会を開き、新たな闘いの方針を決めます。暁子さんが継承して再審を求め、真相を究明して責任を取らせるために国家賠償請求訴訟を予定しています。怒りを胸に全国から集まってください。

 家族の写真 右から兄・治男さん、父・三郎さん、文昭さん、
弟・修三さん、母・美智恵さん
葬儀告別式あいさつ

 これからもずっと一緒です 喪主 星野暁子さん

 皆さん。文昭と最後の別れをするためにお越しいただき、本当にありがとうございます。星野文昭への呼びかけをもって、あいさつに代えたいと思います。
 文昭、聞こえていますね。今日もたくさんの方が文昭と別れを告げるために来てくれていますよ。
 みんな、あなたがどんなに頑張ったか見ていますよ。文昭と私の闘いに励まされたと、みんな言っていますよ。
 苦しい呼吸の中で最後の力を振り絞って、あなたは布団から手を出していました。その手を握り締め、あなたの胸に顔を埋めることができたことは、生涯忘れられない思い出になりました。
 文昭の最後の手紙を読み返しています。手術の前の日に届くように5月26日に書いた手紙です。その手紙は最初から最後まで、私が心配しないで手術に臨めるように、そのために書いた手紙でした。
 文昭はいつだってそうでした。持てるもののすべてを私に捧げて、それが同時に、労働者民衆に捧げるような生き方を、文昭は33年間貫いてきました。
 最後に描いた絵は「アフガン 山の学校で学ぶ」という作品です。「体に力が入らないからバックなどはもうひとつだけど、少女の表情はうまく描けた」と言っていました。
 勉強する勝気な少女の表情が生き生きと描かれています。文昭は私の中の勝気な面を見出して楽しんでいて、少女の顔を私に重ねながら描いているのです。
 遺体になったあなたと初めて接吻しました。冷たかったけど、柔らかな感触が残りました。
 過酷な人生を引き受け、笑顔で誰をも迎え入れた文昭。みんなのために生きてきた文昭が、なぜこんなふうに命を奪われなければならないのか。けして帰ってくることのないあなたを思って私は泣きました。
 そして思い出したのは、文昭がいつも「死者と共に生きる」と言っていたことです。文昭は死んではいない、私の中に生きています。そして多くの労働者民衆の中に、文昭の絵を愛してくれたたくさんの人々の中に、皆さんの中に生きています。
 私が笑えば文昭も笑い、私が泣くと文昭も泣くので、泣いてばかりはいられないのです。
 文昭が生涯をかけた人間解放の闘いを、私が引き継いでやれば、文昭も一緒に闘って、勝利の美酒を酌み交わすことができると私はそう思っています。
 あなたの旅立ちに私は、あの1971年11月14日にあなたが着ていた同じ色の、薄青のシャツとグレーのズボンを選んで着せました。
 「権力が、自分がやっていないことを百も承知ででっち上げたことに怒りはあっても、沖縄闘争を闘ったことにみじんの後悔もない。もう一回、生まれてきても、僕は暁子とみんなとの団結を生きる」と、文昭は言っていたからです。
 文昭と一緒に生きた33年、幸せな、いい人生でした。
 文昭、あなたを殺した国家権力を裁くために国賠訴訟をやりましょう。そして、文昭の闘いを私が継承して、再審の新しい闘いに踏み出しましょう。
 文昭、あなたは今日、旅立つけど、これからもずっといつも一緒です。
弔  辞
 いつまでも私たちと共に
        
共同代表 戸村裕実さん
 文昭さん、手術後の出血が止まらないという緊急事態にただ祈るしかありませんでした。残念無念です。
 解放の喜びを分かち合い、生地札幌、暁子さんの山形、平良さんご夫婦の沖縄、そして三里塚の地に立つ事を実現させたかった。
 文昭さんとの出会いは三里塚です。私が駒井野から南三里塚・長原公民館へ移った時、既にそこで活動していた文昭さんを知るのです。反対同盟の皆さんに絶大な信望を得ていました。
 文昭さんは、国家の理不尽な攻撃を受け、抑圧される人々に心を注ぎ、寄り添い行動する人でした。権力の横暴を見過ごせない、無私で他人に思いを馳せる方ですね。徳島刑務所でも、全受刑者の益を考え、振る舞い、結果、自分が不当な懲罰を受けますが、整然と主張する姿は他の受刑者から感謝されたと聞きます。
 今、沖縄、三里塚で、これでもかと人々をたたきつける国の姿、容赦できませんよね。71年の三里塚、沖縄の激闘を担い、その報復弾圧を一身に受けた文昭さん。再審無罪を勝ち取らねばなりません。徳島刑務所、四国更生保護委の罪責を問わねばなりません。
 闇を照らす夜の星はやがて暁へと引き継がれます。まさに「ほしのふみあきこ」です。いつまでも私たちと共にあってください。
 私たちも天空の星を仰ぎます。再審無罪、そして、あなたの闘いと共に私たちも一緒にあります。安らかに、安らかに。



 終わりではなく始まり
   
再審弁護団 主任弁護人 岩井信さん
 今年4月、星野文昭さんが東京・昭島の東日本成人矯正医療センターに来たと知らされ驚きました。すぐに医療センターに行き、接見しました。星野さんの顔は痩せていました。昨年12月に徳島刑務所で接見した時よりも顔がさらに小さくなった気がしました。
 私は星野さんに「手術を成功させ、徳島刑務所の医療過誤、放置、隠蔽を明らかにし、仮釈放を再度求めましょう」と言いました。星野さんはにこにこと聞いていました。
 5月29日、医療センターの医師は、「今晩にも亡くなる可能性がある。血圧が低く、輸血では難しい」という説明をしました。
 そうならば「一晩、暁子さんがそばにいて、文昭さんの手を握り、暁子さんの生命力を伝えさせてくれ。これは医学的に必要な力だ」と、私は刑務官に申し入れました。その結果、一晩、医療センターの中の弁護士控え室に暁子さんと誉夫さんが入り、待機することになりました。
 死亡診断書の手術の有無を書く欄には「巨大な腫瘍(しゅよう)に対して切除術を行った」とあり、「巨大な腫瘍」とあります。腫瘍を巨大にしたのは、検査せず、無視した徳島刑務所などの当局の責任です。この責任を追及し、再審を続け、再審無罪に向けて真実を明らかにします。
 きょうは終わりではなく、始まりです。今、星野さんは私たちの目の前にいます。私たちは、暁子さんと共に、あなたと共に闘っていくことを誓います。



 基地のない沖縄を目指す
  
沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会
              和田邦子さん

 手術成功の一報を聞き安堵(あんど)し、あとは仮釈放を実現し、外部の病院で暁子さんのそばで療養できるようにがんばろうと思っていました。医療センターに移り、「ちくわと野菜のおかずが出た。部屋から少しだけ空も花も見える」と喜ぶ文昭さん。こんな当たり前のことにこんなに感動するほど刑務所の生活がひどかったのですね。胸が痛みます。
 世界で一番強い精神力を持ち、思いやりがあり、光り輝く生き方をした星野さんを国家権力が殺したのです。この悔しさと怒りを晴らさずにいられようか! 体調悪化を訴え続けたのに放置し、獄死させた国のやり方を多くの人に伝えようと、先日当会で声明を作り辺野古で配布。多くの方が声をかけてくれました。
 文昭さんと暁子さんは「私たちの役割はみんなを励ますこと」と常に語って、その通り、優しさと希望の詰まった絵で生きる勇気を与えられてきました。
 星野さん解放の闘いで多くの人々と出会い、皆が自分の未知の力を発揮しました。星野さんの無念さ、悔しさ、闘志を私たちは引き継ぎ、全国・世界の仲間と共にこれまで以上に闘います。核も基地もない沖縄を、「人間が人間らしく生きられる社会」を目指します。すばらしい生き様を見せてくださりありがとうございました。
 人間解放の未来を照らす
        
共同代表 狩野満男さん
 星野文昭さん。私たちはあなたを失って今、計り知れない失意の中にあります。本当に悔しくてなりません。あなたの命を奪い去ったすべてを私たちは絶対に許しません。そしてあなたを守り取り戻せなかったことをお許しください。本当に申し訳ありません。
 しかし今、あなたの魂は私たち、そして私自身の中に宿り、火をともし、よみがえろうとしています。「沖縄への理不尽に黙することなく立ち上がったことで人間になれた」と星野さんが語ったように、私は私自身が星野文昭となって闘うことを誓います。
 あなたを取り戻す闘いの始まりは暁子さんとの出会いでした。最高裁上告棄却の日に生まれた娘を暁子さんは我が子のようにいとおしんでくれました。そして西荻窪での初めての街頭宣伝を始めたのが運動の始まりでした。便せんいっぱいに記されたあなたからの大切な手紙を暁子さんは嬉しそうに見せてくれました。これ以上ない愛情と社会変革への情熱がびっしりと記されていました。
 星野さん。あなたの闘いと魂は階級闘争の歴史に刻まれ、そこに留まりません。今、まさに全国全世界の労働者人民の魂を揺さぶり人間解放の希望と未来を照らしています。国内外からの弔意にはこの思いがあふれています。星野さん。私たちはあなたを引き継ぎ新たな闘いへと突き進みます。星野さん。安らかにお眠りください。



 心配るすばらしい指導者
 
三多摩星野文昭さんを救う会 大畠信子さん
 2019年5月30日午後9時44分、星野文昭さんは亡くなられました。73年の人生の中で、44年を獄中に生き、非転向を貫き、最後までがんと闘い抜いて亡くなられました。危篤状態になってからも闘い抜く強さを感じ、奇跡が起こるのではと願いましたがかないませんでした。無念です。
 人間が人間らしく生きられる世の中を作るために、その生涯をかけて闘い、44年捕らわれていても、最前線で闘い抜かれたのです。私たちは忘れません。この社会を変革するまで闘い続けます。その遺志は必ず引き継ぎます。5月30日深夜、昭島医療センターに入った暁子さんを待ちながら、私は誓いました。
 5月23日から開催した昭島での絵画展には270人余が訪れ、多くのカンパも集まり、『星野新聞』読者も増えました。最後となった暁子さんへの手紙で、「昭島絵画展は成功すると思うよ。みんなが僕に会いに来るだろう」と書かれていました。病床にありながら、常に皆に心を配る星野さんは、すばらしい指導者だったのだと改めて思いました。
 44年間獄中にありながら国家権力を震かんさせ続けた不屈の革命家星野文昭さん。その遺志は必ず引き継ぎます。暁子さんと共に闘い続けます。






 遺志を引き継ぎ闘い抜く
   
革命的共産主義者同盟 木崎冴子さん
 星野文昭さん。あなたを生きて暁子さんのもとに、労働者民衆のもとに奪い返すことができませんでした。断腸の思いです。
 星野同志、あなたは44年間、一日も絶えることなく非転向で闘い続けました。世界の労働者階級闘争史において、類例のない壮絶な国家との闘いでした。
 獄中からのメッセージには、いつも基地も戦争も、搾取も抑圧もない、人間が人間らしく生きられる社会を訴え続けました。そのあなたの命を国家権力は奪った。この国家犯罪を未来永劫(えいごう)許さない。
 国家権力は、なぜあなたの命を奪ったのか。それは、70年安保・沖縄闘争に貫いたあなたの魂が、沖縄の地にマグマのようになって伝搬しているからです。それが沖縄の地にいよいよ大きく根付き発展していることに国家権力は死の恐怖を感じたのです。しかし、命を奪うことは絶対に許せないことです。
 あなたが成し遂げた歴史的な偉業は、必ずや全国・全世界の人に引き継がれると共に、獄死攻撃をもって一層沖縄の闘いは発展することを確信しています。
 星野同志。あなたの生涯の全意志を引き継ぎ、暁子さんと全国全世界の人々と共に、再審を貫徹し、権力犯罪を断罪し、あなたが求めた社会を実現するために全身全霊かけて闘い抜きます。万感の意を込めて感謝を述べたいと思います。
弔電・弔文・メッセージ
  悲しみ、無念、国家権力許すまじ
 星野文昭さんの通夜・告別式に全国から、また海外からも数多くの弔電・弔文・メッセージが寄せられました。以下一部を紹介します。文章は、紙面(79号)の都合上要約しました。(文責・編集部)


 共同代表平良修さんの家族 平良悦美さん

 文昭さんは殺された。私の暮す沖縄を本気で担ったために殺された。耐えて耐えて、これ以上耐えられなくなるまで文昭さんは沖縄を担った。文昭さんはやり切れない沖縄を見ていた。その昔、軍隊を伴って強制的に日本にされた島々。日本の為に利用の限りを尽くされている南の島々、沖縄、宮古、石垣、与那国、奄美の土地に暮らしている住民たちの、夢を踏みにじる権力者たちに向かって、先頭で否を叫んだ。
 文昭さんは死んだ。人間たちの言葉を担い、先頭で発したために、殺された。住民たちの労働の代価を吸い上げた力を使って、つつましく営んでいる人間たちの生活の大地と空と、環境の、あらゆるものを壊す化け物、襲い掛かる力に、文昭さんは殺された。
 しかし文昭さんは死んではいないよ、暁子さん。あなたが貫いた愛は文昭さんに届いているよ。そして、沖縄の未来への夢の種火となって生きているよ。

 劇作家・演出家 坂手洋二さん
 30日木曜日、私が劇作家大会のための会議に出ていた正午過ぎ、暁子さんから「一日2回面会しています。ハグも握手も」というメールが届いて、私は会議の真っ最中なのに、涙がこみ上げてくるのを抑えられなかった。出会って33年の文昭さんと暁子さんが、文昭さんが死線をさまよう状態で、初めて直接ふれあうことができた。「ハグも握手も」初めてなのだ。
 そのあと昭島の医療センターに駆けつけた。支援者が見守る中、私ともう一人だけ、暁子さんに弁当を渡す係としてゲートエリアに入ることを許され、激励した。疲労の色は隠せなかったが、暁子さんの目は真っ直ぐに現実を見据えていた。その後、その日午後9時44分、文昭さんは逝去された。
 鷺宮の葬祭ホールで、初めて、じかに、文昭さんのお顔を拝見した。暁子さんと一緒にいる文昭さん。このお二人が、私の肉眼に、ほんとうに、一緒に写っている。夢のような瞬間であるが、それが文昭さんが亡くなって初めて実現することだという残酷。
 元参議院副議長/弁護士 角田義一さん
 星野文昭氏の訃報に接し、深い悲しみと非道な国家権力に対し、強い憤りを覚えます。同君の信念を貫いて、闘い抜いた生様にあらためて強い感動と心からなる敬意を表します。
 暁子夫人には、お慰めの言葉もございません。ともに闘った夫婦愛に、あらためて深い感銘を受けております。ご冥福をお祈り申しあげると同時に、星野君を支えていただいた同志と語らい、星野君の遺志を引き継ぐと同時に、国家権力の悪を暴く闘いを共に進めたいと思います。

 元衆議院法務委員会筆頭理事 小森龍邦さん
 謹んで星野文昭さんの死を悼み、日本の平和と人権のことについて改めて決意を固めました。安倍自民党政権の検察権力の横暴を糾弾しなければなりません。文昭さんの闘われた沖縄の問題は「核抜き本土並み」と言った自民党政権の欺瞞を暴露し、アジア、世界の平和のための動きでした。文昭さんは、暁子さんの愛を胸に抱き、われわれが闘いを継続し、成功に導くことを信じて旅立ちました。
 文昭さんの思想は、生きてますます日本国民の間に広がることと思います。
 文昭さんの霊前に、われわれは団結して戦線を拡大し、必ず勝利の道を切り拓いていくことをお誓いします。どうぞやすらかにお眠りください。
 佐渡教会牧師/佐渡市議 荒井眞理さん
 文昭さんのご逝去は、イエス・キリストの死にも似ていると感じています。イエスは人の罪を背負って為政者のスケープゴートに遭われました。棺の中の文昭さんは、そばに立っておられた暁子さんとそっくりの穏やかな笑顔だったので驚きました。そしてこの笑顔は勝利の先取りを伝えていると直感しました。
 文昭さんは私たちの中に共に生き、次の真実な歴史を完成させていくものと私は確信しています。

 動労千葉執行委員長 田中康宏さん
 ご逝去の報に、悲しみと悔しさ、怒りでいっぱいです。
 文昭さんが生涯貫いた闘いを引き継ぎ闘います。彼の魂がその中に生き続けると確信します。心からご冥福をお祈りいたします。

 杉並区議会議員 ほらぐちともこさん
 当日、悲しみと悔しさとともに国家権力への怒りがこみあげて眠れなかった。
 翌日、杉並区議会で星野さんの再審闘争について訴えた。星野さんが獄死したこと、44年間無実を訴え闘い続けたこと、法務省・徳島刑務所・四国地方更生保護委員会によるがん隠し、命を軽んじる非人間的な対応は断じて許せない。暁子さんとともに再審闘争を闘っていくと訴えた。
 星野文昭さんが貫いた生き方、星野文昭さんが生きられなかった未来を、私たちが引き継ごう。星野文昭さんはずっと私たちの中に生き続けます。

 高崎経済大学OB 秋葉秀雄さん

 5月30日の夜、ベランダにおり、「神がいるなら神に祈ろう、仏がいるなら仏に拝もう」と夜空をあおぎ星野文昭君の回復を願った。しかし23時13分に君が死んだとメールが入いる。
 君とは大学時代は短い時間であったがスポーツをして楽しんだ。46年間、音信不通であったが3年前、仙台市の絵画展で「姿なき再会」となった。君は獄中に41年間いたんだね。
 君は学生運動家から獄中でマルキストとなり革命家となった。君はすごい人間だよ。獄中で曉子さんと恋をして夫婦となった。誰にも負けない素晴らしい夫婦だと思う。私は暁子さんや星野修三さんや星野誉夫さん、そして君を支援する多くの仲間と一緒になってこれからも戦うよ。
 君はそちらの彼岸で待っててくれ。私は君の無罪を勝ち取ってから行くから。

 高経大放送研究会OB 平芳樹さん

 星野文昭さんの突然の悲報・圧殺に接し心よりお悔やみ申し上げます。いのちをかけ闘い抜かれたご生前をお偲びし、悲しみにたえません。でも夜明はすぐ近くです。どうぞ穏やかな旅立ちでありますように。
 みやぎ星野文昭さんを救う会

 ご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します。星野さんの無実をはらし遺志を継いで共に闘います。
 沖縄万人の力で取り戻す会 真喜志康彦さん
 星野さんのご逝去に際し、心より哀悼の意を表します。
 昨年の早い段階で精密検査と手術を行っていたら助かる命でした。それを放置し、死に追いやったのは徳島刑務所と国家権力です。この国家権力の犯罪に、腹の底から怒りを抑えることができません。
 今後は、この権力犯罪をあまねく暴露し、星野さんの再審無罪をかちとるために力を尽くします。
 星野文昭さんが安らかに眠りにつかれますよう祈念いたします。
 いわて星野さんを救う会 岡田幸助さん
 星野文昭さんのご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します。
 国家による遺棄・殺人でありますが、同時に文昭さんの生涯を賭した殉教でもありましょう。私たちも星野さんご夫婦に倣い、今後とも司法の民主化、沖縄の基地化反対の闘いを続けてまいります。地上の思いでは大変残念ですが、天国ではお母さまをはじめ先に行かれた方々とお会いになっていることでしょう。暁子さんとご遺族の皆様の上に神よりの慰めが豊かにありますよう心から祈ります。
 秋田星野さんを取り戻す会一同
  星野文昭さんは絵に接したみんなの心に決して消えることのない愛に満ちたメッセージを残されました。
 私たちは文昭さんと出会えた大きな喜びと突然訪れたお別れの深い悲しみを抱いて、さようならします。

 広島星野文昭さんを救う会 増上昭典さん
 残念である。怒である。生きて、生きて、生きぬいて。世の革命を叫び、人民の解放を叫んだ我ら、その先頭の文昭さん。(私も77才、今)叫び続ける。

 星野さんをとり戻す会兵庫 新田和生さん
 9年ぶりに面会しました。9年前と全く老けていませんでした。今にも起きて「何しに来たん、しっかりやれ!」とやさしく呼び掛ける様でした。
 国家犯罪を許さず星野さんの遺志を受け継ぎ、プロレタリア革命に突き進む決意を新たにしました。

 大阪星野さんを取り戻す会 南谷哲夫さん
 国家権力と日々対峙し、愛を貫き、革命を貫き、絵画をも武器にして闘いぬいた闘いに学び進みます
 香川 高橋 敦さん
 星野闘争を闘うことで、私は人間になれました。
 星野さんの遺志を引き継ぎ闘います。


海 外 か ら
  韓 国
 星野文昭同志!
 お顔を一度も拝見できませんでしたが、韓国テグの同志たちは、闘争の象徴だった同志の突然の死を前に当惑を隠すことができず、深い悲しみに沈んでいます。
 星野暁子さんの悲痛さとは比べようがありませんが、辛い苦痛の前に立ちつくしてばかりはいられません。
 日米同盟と帝国主義の気勢が上がる今、星野文昭同志が生き残った私たちに、 再び憤怒で立ち上がれ、と言っているからです。
  韓国 大邱 教育空間ワ代表 イドクチェ
(他に) 韓国拘束労働者救援会会長 チョヨンゴン 韓国拘束労働者後援会事務局長 ペミヨン  貧民解放実践連帯

  アメリカ
 彼の闘いは、自分の命と権利に止まらず、世界中のすべての人民の人権のための闘い
です。 あなたの兄弟、友人、そして同志として、 私は、 彼の闘いを私自身の闘いとともに
続行し、私が行う一つひとつのことすべてに貫くことを誓います。 尊敬と連帯をもって                       ケビン・クーパー 

 これは、日本政府による殺人であり、彼を永久に沈黙させることを狙ったものです。アメリカでの集会への暁子さんの参加を政府が拒否したことは、この政治弾圧と星野
文昭さんの支持への妨害と結びついています。 連帯を込めて
                        スティーブ・ゼルツァー



  トルコ
 暁子さん、無益な苦悩はありません。希望に対する敵はいつか必ず洗い流されます。文昭さんは労働者階級の闘いの中に生きています。      UID-DER 女性委員会
  ドイツ
 倉岡雅美さん、クルド・シュナイダーさんが供花

  多くの人々、諸団体からのたくさんの弔電・弔文・メッセージありがとうございました。

星野新聞第78号 掲載