第9回 2014.6.16 講師 石塚伸一さん
(龍谷大学大学院法務研究科教授)
「受刑者の再審請求」その権利と課題-獄中処遇と外部交通
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6月16日、弁護士会館で第9回学習会が開催されました。講師は龍谷大学教授の石塚伸一さんです。 冒頭、主任弁護人の岩井信さんから以下の挨拶がありました。
「受刑者の処遇状況が新法になって一瞬変わったかなと思っていたら、今や監獄法時代以上に厳しい制限を加える状況になっています。星野面会・手紙国賠は、受刑者処遇の全体も変えていく闘いです。闘いには理論が必要です。石塚先生に、国賠裁判で、意見書を書いて頂いております。」以下、講演の一部をまとめました。 |
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刑事事件で逮捕されると勾留され、起訴される。裁判が始まり一審の判決が出される。不服があると控訴して、二審の判決が出る。上告しても最高裁はまず棄却、それで確定となる。
裁判が確定する前の未決拘禁者は無罪の推定を受けるから、一定の理由がなければ自由は制限されない。裁判の証拠となるものを隠したり、捨てたり、証人を威迫したりの「罪証隠滅の恐れ」、また「逃走の恐れ」などを理由として身体を拘束している。あとは裁判所に出廷するのを確保するためという理由です。
刑の確定以降の受刑者は、裁判を闘う場合は再審を目指して頑張るということになる。だけど、受刑中で身体を拘束されたり、死刑確定者で拘置所に身体を拘束されている状態では自分で再審の活動ができない。当然弁護士とか家族とか、誰かに会わなければならない。だから家族や弁護士が面会をすることは、再審の闘いにおいてはとても重要です。裁判をやろうとしているのだから、弁護人は秘密に会う権利がある。
一般面会については、施設長の権限で全部決めている。法律は最低2回、最低15分会わせると書いてある。だから月2回、15分会わせれば問題ないだろうと、最低基準が最高基準になっている。これが法律のマジックです。
コミュニケーションの自由は権利
徳島刑務所長が星野さんとの面会だとか通信を制限した、その違法性を争っている国賠訴訟で、私に意見書の依頼がありました。内容は三つです。
1番目は、親族である暁子さんと文昭さんとの面会が不許可になったことです。家族だから会えて当たり前なのに面会できないのはおかしい。星野さんの面会は月2回と決まっていて、既に岩井先生が会っているから、3回目になる暁子さんの面会はダメだというんです。2回にするというのは施設側の運営上の理由です。法には書いてない。だからこれは星野さんの面会を受ける権利を侵害している。
暁子さんと会えなかったのはおかしい。何故かというと、家族は会えることになっているからです。
さらに問題なのは岩井さんの弁護人としての接見です。家族を含めて月に2回しか会えないということになると、裁判の打合わせで2回も3回も会う必要があっても、弁護士の接見が家族面会と同じに扱われて、家族が会えなくなるからと自粛します。これは弁護権の侵害です。弁護士接見は面会制限とは別の枠で考えるべきです。
2番目は、それまで会えていた方、初めて会おうとした方、この人たちが面会を拒否されたことに対して、星野さんとの交友を禁ずるのは違法だと訴えた。星野さんを救う会は、星野さんの人権を回復するための活動をしているのですから、獄中にある星野さんはこういう人たちの支えがなければ再審裁判ができない。
3番目は手紙・信書です。信書については制限がないというのが基本的な考え方です。普通に来た手紙は誰から来たものであっても見られるべきです。
受刑者は権利がいろいろ制限されている。しかし、受刑者といえども法的主体であることが否定されてはいけない。人に会う権利というのは主体と主体がコミュニケーションする権利です。手紙を受け取る、差し入れを受ける権利だけではない。手紙を出す、受刑者が人と会う、宅下げをする権利であります。
コミュニケーションの自由は、外の人の権利であり、受刑者の権利でもあるということになる。暁子さんの手紙に墨塗りをしたり、暁子さんが面会に来ているのにそれを告げないということはコミュニケーションの入り口で閉ざしてしまうのですから全く違法です。
今、獄中処遇をめぐり認められた権利がどんどん後退させられている。今一番の橋頭堡で闘いになっているのがこの接見と面会です。星野さんの訴訟も受刑者の権利を認めさせる闘いそのものですから、是非勝っていきたいと思います。 |
第8回 2014.4.17 講師 桜井 昌司さん
(布川事件元被告)
布川事件・えん罪と証拠開示
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4月17日、日比谷図書文化館で第8回学習会が行われました。講師は布川事件で再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんです。
冒頭、再審弁護団の藤田城治弁護士が、裁判の現状について報告されました。「袴田再審では、着衣についていた血液型のDNA鑑定が新証拠となった。この背景にはやはり昨年開示された130点の膨大な供述証拠、全体で600点の証拠開
示が大きい」「やはり証拠は検察の倉庫にある」と提起されました。
以下、桜井さんの講演要旨(事務局まとめ)を掲載します。 |
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未だに私を犯人と言う検察
講演と言われたのですが、ただ自分の体験・思いを話します。先ほど藤田先生は「証拠を何ら開示しない理由はない」と言ってましたが、ちゃんとあるんです。出すと無罪になるからです。袴田さんの決定が出て、しかし平然と即時抗告ができる検察の感覚です。あれだけ明白に裁判所から「捏造」と指摘されて、違うとどこから言えるのか。彼らは、腐り切っている
。警察や検察は何も反省しないんですよ。布川事件では未だに私のことを公然と犯人だと言ってるんですよ。
嘘と証拠の偽造を暴く
布川事件では裁判官の心証が決定的に変わったのは毛髪鑑定です。現場遺留毛髪についての鑑定書の中に、被害者に関する鑑定書はありませんでした。弁護団は「被害者の鑑定」を出すように要求したのですが、検察官は「ない」と回答してきました。しかし弁護団が調べたら領置調書という書類があって「被害者の髪の毛の領置若干鑑定中」と書いてある。追及したら2週間で出してきた。検察が嘘をついていたことが分かって裁判官の心証がガラッと変わった。
検事は「ダンボールをパッと開けたら出てきた」と言うんですぐ、「隠したんだろう」と追及したら「もう隠してない」と答えるんで、腹が立って検事を怒鳴りつけたことがあります。
実は杉山も私も2本の録音テープをとられている。再審ではその1本目の方を出してきた。だけど取調の警察官は公判で「録音テープはない」という偽証をした。それを向こうから出してきたんです。これを再生して聞いたら弁護団はシーンとして「あ、ちゃんと喋ってるね」、これは勝てないという雰囲気になった。ところが自分の記憶と違うので、これは絶対におかしいと思ったんです。それで良く聞いたらテープが19分足りない。「これは俺の記憶が正しい。絶対勝てる」と確信した。それで放送関係者に聞いてもらったら「どうも雑音が入っている。編集されている」、10数カ所の編集痕とカットされている事も分かった。改めて証拠開示は大事だなと思いました。
証拠隠しを許さない運動の力
彼らは有罪と決めたらば証拠を隠してもいいと思っているので、何でもやります。「刑事訴訟法には検察官が証拠を出さなければならないというという条文はない」と言うんですが、自分が犯人にされそうになっている時に、無罪方向を示す証拠が隠されたらどうなりますか。それが許されているところに今のえん罪の全ての問題があると思います。今の裁判は証拠が開示されるようになったと言いますけど、全部の証拠を出すということではない。
布川事件でも証拠開示されたのは145点あるんですが、その前に日野町事件で証拠目録を裁判官の開示勧告で出させたことが大きかったんです。布川事件だけで勝てたわけではないんです。2005年5月に名張事件の再審決定という大きな流れで勝ったんです。私たちも裁判所に毎月道理を尽くして訴えたことが通じたんですね。
ですから私は運動の力が虚しいなんて全然思わないです。だから、あっちこっちで声を上げて訴えているんです。「検察官が証拠を隠しているのは駄目なんだ」という世論を作るために今、国賠訴訟をやっている。事実が明らかになった時には必ず星野さんを取り戻せる。皆さん一緒に頑張りましょう。 |
第7回 2014.2.21 講師 秋山賢三さん
(弁護士・東京弁護士会所属/元裁判)
徳島事件の今日的意義と証拠開示
星野再審事件と徳島ラジオ商殺し事件の共通性
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2月21日、日比谷図書文化館で第7回学習会が開催されました。講師は弁護士で元裁判官の秋山賢三さん。
冒頭、鈴木達夫弁護団長が「第1次証拠開示でかちとった写真の中から星野さんが手にしている鉄パイプには機動隊員殴打の痕跡はないと出したところ裁判所は『痕跡らしきものがある』と言って第2次再審請求を棄却してきたそれに対して異議審で写真の鮮明化のためにネガの開示を請求し、裁判所が検察に開示勧告するという前進を勝ち取った。徳島ラジオ商殺し事件でも第三者の目撃調書の開示が決定的だったということから、今日の学習会に大きな期待をもってます」と、挨拶されました。 |
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私は、50歳を前にして裁判官を辞めて弁護士をやって来た。資料を見ると、星野再審事件は、警察官の殺害に関する証拠は供述証拠以外には一切ないという典型的な冤罪事件の構造であることがわかる。刑務所行きだと脅して作った供述調書のみで有罪にしているという点では徳島ラジオ商殺人事件と同じ性格の事件で、私の話が星野再審の力になればと思います。
このような証拠構造であるにも係わらず死刑を求刑し、一審は20年、二審は勝手な解釈でふくらまして無期にした裁判で、その裁判長が石丸さんと草場さんであることが一つの特徴をなしている。星野再審は証拠開示によって突破口が開かれる
と思う。
脅して供述させた証拠で有罪に
徳島ラジオ商殺人事件については、この証拠で富士茂子さんがなぜ有罪になったのか理解できない。「偽証すると10年入ってくるんだぞ」と脅して供述させたことは明白なものだ。
捜査当局は当初は外部犯人説で捜査していたが、どうも上手くいかないと内部犯人説に転換した。警察が捜査した初期の捜査資料からは、内部犯人説などあり得ない。シーツの上についた泥靴の写真とか、検察は不都合な証拠は隠して起訴した。
再審ではそういう証拠が22冊も出てきた。こんな証拠が出てくるのには流れがある。当時は白鳥・財田川決定の影響が強く作用していて、数年間は裁判所は再審の証拠開示に応じていた。しかし、最高検は次々と証拠が開示され無罪になると、検察・警察の志気が維持できない、「簡単に証拠開示に応じるな」と1984年に通達を出して来た。それ以来証拠開示・再審開始の流れは止まってしまう。捜査機関の都合で無実の証拠を隠し続けるのは許されないことだ。
証拠開示を拒む理由などない
この間の連続する再審無罪については、出されてきた証拠は当初から採集されていたものであり、とりわけ袴田事件の「血痕のついたシャツ」は捏造されたもので、アリバイを示す事件直後の同僚の証言も隠されており、有罪を断定した旧証拠から考えても無罪にするしかない。
再審においてこそ証拠開示の必要性が高く、それを拒む理由は一切ない。検察の組織の都合で無実を証す証拠が隠されるなどということは不正義そのものだ。星野再審においても、事件直後の捜査で収集した11人の供述調書の開示を拒む理由は一切ない。弁護人がこれを手にすることで再審の扉が大きく開かれることを確信している。 |
第6回 2013.12.20 講師 伊部正之さん
(福島大学名誉教授・松川資料室)
松川裁判が暴き出した権力犯罪 隠されていた無実の証拠 |
12月20日、日比谷図書文化館で第6回学習会が開催されました。
表題のテーマで、伊部正之さんからお話を伺いました。司会は再審弁護団の藤田城治弁護士。冒頭、鈴木達夫弁護団長が挨拶で、松川裁判の勝利が戦後の裁判批判運動において決定的な意味をもったこと、百万を超える人たちと結びついていくために松川闘争から学びたいなど提起されました。以下は、伊部先生の講演要旨です。 |
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東芝松川工場スト当日 未明に事件発生
1949年8月17日未明、東北本線松川駅近くで列車が脱線転覆、乗務員3名が死亡する松川事件が発生した。当時の国鉄は10万人首切りのまっただ中にあった。国鉄の中でも現業の2割、管理部門の3割の首を3ヶ月の間に切るという方針だった。政府は、民間企業に出していた価格差補給金を止めるということで整理を開始していた。
事件は、東芝松川工場が同年8月12日に330人中32人の首切りを通告するという攻撃の中で、組合が 8月17日に24時間ストライキを構えていたその明け方に起こった。
国労松川支部の3人、東芝松川工場の2人、計5人が「実行犯」だとされた。だが、実際に起こった列車の転覆事故の原因は、レールが外されていたことだった。これだけの人数ではとても出来ない。道具も一杯必要だし、技術的にも不可能なことは専門家が見れば明らかである。
弾圧の狙いは組合つぶし
検察側は、8月12日から始まって16日に至る、11回の順次共謀で事件に至ったと主張した。
国鉄の組合で謀議が行われたというデッチ上げのために元国鉄の線路工夫だった赤間勝美さんが狙われた。検察官は未成年の赤間さんを連日長時間の過酷な取調で、脅迫し、デマで誘導し、虚偽自白(赤間自白)をでっち上げた。
検察は「謀議」の参加者を東芝側にも作りたかった。それで、赤間自白をもとに、東芝の浜崎二雄さんを捕まえて東芝側の逮捕をどう組み立てるか練った。実に乱暴な話です。この取調で組合の副委員長の太田省次さんが逮捕され、共謀行為の大半は東芝の組合員から作り上げられた。
国労福島の中心にいる鈴木信さんが狙い撃ちされたが、それは国労をつぶすためであった。権力は官公労のトップである国労と、民間の戦闘的労組である東芝労組を潰そうとしたのです。
被告団の団結が勝利の根元的力
1950年、朝鮮戦争が引き起こされると、これを遂行するために反共産主義の労働組合である総評が、占領軍のてこ入れで作られた。しかし、総評は現場の労働者の抵抗で、すぐに「鶏からアヒル」へと戦闘的な労組に転換する。この転換には松川運動が大きな影響を与えた。
被告団20人の団結は最後まで守り抜かれたが、そこに松川裁判闘争勝利の根源的力がある。この団結を基礎にした松川運動は、総評をも運動の中心に獲得し、全人民的な運動へと発展した。
松川事件では、事件2日前の謀議に参加したとされる東芝の佐藤一さんのアリバイを示す諏訪メモが検察官によって隠されていた。裁判勝利のてことなった重要な証拠である。運動の力がこの存在を見つけ出し、法廷に引き出した。
松川運動は、被告・弁護団・家族・支援のねばり強い闘いを基礎として、労働組合を中心とした国民的大運動へと発展したことで、死刑5人を含む被告20人全員有罪の一審判決を覆し、1963年9月12日、全員無罪を確定させた。 |
第5回 2013.10.22 講師 指宿 信さん
(成城大学教授)
証拠は真実を発見する公共の財産 |
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10月22日、日比谷図書文化館(旧日比谷図書館)で第5回学習会が開催されました。講師は刑事訴訟法が専門の成城大学教授・指宿信さん。テーマは「『証拠』は誰のものか?証拠開示問題の本質とその理論的背景」です。私たちが直面している課題の理論的解明そのものです。
司会は弁護団の藤田城治弁護人。岩井信主任弁護人から挨拶と指宿教授の紹介を受けました。「理論と実践、法学者と弁護士を分ける考えがあるがそうではない。法学者のしていることは実践そのものだ。弁護士は、ともすると裁判所の動きに引きずられて妥協したりする場合があるが、理論によって踏みとどまることが出来ることがしばしばある。今日は、指宿先生のお話を伺って、星野再審で今やっていることをもう一度見直し、私たちがまだ到達していない地平を、一緒に探索していきたい」。
証拠への自由なアクセス権を
指宿先生は、要旨以下のように講演されました。
「証拠開示問題とは、検察側が公判廷に示さなかった未提出証拠を提出させるという課題です。被告人・再審請求人が必要な証拠に自由にアクセス出来ないことが問題です。検察が証拠を隠す、集めた証拠を警察が無くす、これではとても公正な裁判・司法とは言えません。証拠は検察が勝手に処分できるようなものではなく、真実を発見するための公共の財産です。
日本の刑事裁判は『当事者主義』であり、検察官が証拠によって被告人の有罪を立証する責任を負っています。その証拠は警察・検察が収集し、その中で有罪の立証に使えるものを公判に提出する。提出されたものについては弁護人側も知ることが出来るが、提出されなかったものは知ることが出来ない。
『当事者主義』というのは、イギリスやアメリの考え方で、我が国には戦後 、新しく導入されました。未提出証拠の中に、被告人の無罪・無実を示す証拠が隠されていて誤判が多数発生し、それを変えなければいけないという考え方が広がって来ました。
裁判は公正でなければならない
未提出証拠を開示させる大事な根拠があります。それは、裁判は公正でなければならないという考え方です。これらの考え方は憲法31条や37条に規定されています。また、刑事訴訟法1条は、真実を発見することが刑事訴訟法の手続きの一つの目的であると述べています。
アメリカでは証拠へのアクセス権が認められています。また、検察官は無罪証拠を開示しなければなりません。イギリスでは全ての証拠のリストを開示する義務があります。カナダでは、検察官は公判前に全ての証拠を開示する義務があります。
日本ではアクセス権も、全面的な開示義務もありません。無実証拠を開示する義務もなく、非常に遅れた段階にあります。更に重要なことは、こういった義務を検察、警察が果たさなかったときに、カナダやアメリカでは裁判を打ち切る権限を裁判所に与えています。
諸外国にあるような全面証拠開示制度、少なくとも、イギリスにあるような、証拠のリスト開示が必要です。それと共に、証拠を紛失、廃棄されないようにする証拠保存義務を確立していかなければなりません。」講演後、法学部の学生など十数人から質問が出て、講演内容の理解が一層深まりました。また、この中で、松川事件において、重要な被告人のアリバイを示す「諏訪メモ」を検察官が隠していたが、運動の力で開示させ、死刑を含む被告全員の無罪を勝ち取ったことも報告されました。 |
第4回 2013.8.23 講師 厳 島 行 雄さん
(日本大学文理学部教授)
目撃供述・識別はどこで誤るのか? その原因と目撃供述の評価法 |
私が現実の裁判という場でこの問題に係わるようになったのは、1984年9月19日に発生した自民党本部放火事件における、Y証人の目撃証言の信用性をどう検証するのかということからでした。
実際は準備も含め1年一寸かけて実験をやりました。目撃者の正確性を科学的心理学から評価するために、実際にYさんが目撃した場所に学生を連れて行って、2週間後に大学院の学生をインタビュアーにして、彼らに実際にどんなものを見たのか、どういう車を見たのか、乗っている人物を覚えているのかということを聞くわけです。そして顔写真帳を用いた識別も行いました。
30数名の人の中で顔写真選べた人は数名だけです。他の人は覚えてないと言うんです。それで、選んだ人は誰も当たらなかった。そうなると、どうもYさんが持っていた記憶は、目撃の現場とは違うところに起源があると考える以外にないのです。
この事件では4人の心理学者が裁判で証言した日本で最初のケースで、結果は一審では無罪判決を勝ちとります。控訴審では、事件で使用された電磁弁の購入者を目撃したとされるFさんの証言の信用性を主に争うことになりました。これは、伊東裕司先生、仲真紀子先生、浜田寿美男先生と私の4人の共同鑑定ということで実験を行い、高裁でも無罪判決になり、検察は上告を諦めて確定しました。
なぜ目撃供述なのか?
目撃証言は何処で問題になるのか。目撃証言は信用できる場合とそうでない場合がある。心理学はその問題の研究を長い時間をかけて蓄積してきました。現実の事件のなかでは目撃証言は非常に重要なのに、残念ながら目撃証言を正しく評価する方法が日本の司法の中にはまだ組み込まれていないのです。確かに、目撃証言がどれほど誤るのかということが問題になります。1970年代になってアメリカなどでは急激に目撃証言の研究が増え、目撃証言がよく誤るということが分かってきた。シアトルのワシントン大学のロフタス先生は1970年代からよい研究をやっていて、実際に法廷証言も多く取り組んでいました。1991年に先生にお会いしたいということで手紙を出したら「来てくれ」ということで、行くと何かとアドバイスをしてくれました。
ロフタス先生は、「目撃証言のプロが日本にはいないなら貴方がなれ」と突然言い出し、実験室の鍵を出して何時でも来いと言うんです。そういうことで彼女は僕の先生になりました。その後、私はロフタス先生の薫陶を受け、研究を続け、またいろいろな事件の鑑定も行ってきました。
目撃証言の何が一体問題になるのか?
お配りしたのは名古屋大学の北神先生が作成した、目撃証言の信用性を左右する30項目の要因の表であります。一番目に識別に関して「警察の教示は、目撃者の識別の意志に影響する」とあります。これは、ラインナップを実施する時に、実施者は事件の容疑者のことを知っていてはいけないというのです。目撃者というのは一寸した警察官の態度とか、言動とかに凄く敏感に反応して選択してしまう。ダブルブラインドというんですが、目撃者の方も、実施する方もこの中に犯人がいるのかいないのか分からないという状態でやることが大切なのです。
2番目が質問の方法。目撃証言は質問のされ方にも影響を受ける。質問の言葉によって私たちの記憶の中にある情報が変わってしまいます。質問に使われた言葉の違いだけでも私たちの記憶は変わってしまう。そして変わってしまった記憶は元に戻せないのです。検察こそ事実を明らかにすべきなんです。証拠を隠匿している場合ではないでしょ。そして彼らは残念ながら、供述証拠を科学的に見ないのです。いや、見ることができないのです。これは心理学を勉強して初めて可能になるのです。検察は目撃者が見たという供述を重視しないと起訴できないからそれを無理やりやってジレンマに陥る。目撃供述に関わる科学が必要なのは、まさに正しく証拠を評価するためなのです。
僕らのできることは科学を通してインチキなことを暴いていく、真実を明らかにしていくことなのです。 |
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第3回 2013.6.12 講師 客 野 美喜子さん
(「なくせえん罪!市民評議会」代表一元「無実のゴビンダさんを支える会」事務局長)
「東電OL殺人事件の再審無罪と司法の責任~
ゴビンダさん支援活動の経験から」 |
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ゴビンダさん支援の経緯
1997年3月、「東電女性社員殺害事件」の犯人として逮捕されたゴビンダさんは、2000年4月14日、一審無罪判決を受けました。ところが、検察官の強引な要請により「無罪判決後の再勾留」という異例の決定を下され、東京拘置所に戻されました。
「非常に落ち込んでいる」というゴビンダ弁護団の佃克彦弁護士の言葉が、当時、外国人面会ボランティアをしていた私の耳にも伝わってきたのです。初めて面会に行くと、ゴビンダさんは「私、やってない。助けて下さい」と真剣に訴えてきました。
12月22日の高裁判決は、まさかの逆転有罪でした。なぜ2年半かけた一審無罪が、たった4ヶ月で覆されてしまうのか。なぜ同じ証拠が正反対の評価になるのか、まったく納得できませんでした。その後、あの無罪勾留を決定したのも、同じ高木俊夫裁判長だったと知り、「初めに有罪ありき」だとの思いを強く抱いたのです。
翌年3月25日、「無実のゴビンダさん支える会」を結成しました。それまで繋がりのなかった私たちに共通していたのは、理不尽な高裁判決への強い怒りでした。
無実の者には希望がある
2003年10月、最高裁の上告棄却により無期懲役刑が確定しました。嘆き悲しむゴビンダさんは、布川事件の桜井昌司さんの「無実の者には希望がある」との言葉に励まされ、2005年3月、「全ての証拠を科学的に鑑定すれば、私が犯人でないことが必ずわかるはず」と言って、東京高裁に再審を請求しました。
しかし2009年11月に三者協議が始まるまでは表立った動きがなく、事件も風化していく中、どのように支援活動のモチベーションを維持していけばいいのか、非常に苦しい時期が続きました。
2011年7月、ついに劇的な転機が訪れました。現場から採取されていた微物についての新たなDNA鑑定の結果、「別人」の存在が浮上し、確定判決の根幹が崩壊したのです。検察は有罪主張に固執しましたが、流れは変えられず、2012年6月7日、再審開始と刑の執行停止の決定を受け、ゴビンダさんはネパールに帰国しました。
無罪証拠は初めから検察の「倉庫」にあった
11月7日、再審無罪の朗報をカトマンズの自宅で聞いたゴビンダさんは、「私にとって二度目の無罪判決です。嬉しいけれど口惜しい。なぜ私が15年間も苦しまなければならなかったのか」とのコメントを公表しました。
この問いかけに、日本の司法は応えようとはしていません。開始決定は、「これらの新証拠が原審で出されていたら、有罪認定には至らなかった」と述べています。ならば、なぜ出されなかったのか?これらの「新」証拠は、事件当時から検察の手元にあったものばかりです。
「全面証拠開示」を法的に義務付けなければ、個別の事件で勝利しても冤罪はなくなりません。合法的に冤罪を作り出す現行制度を変えなければなりません。「無実のゴビンダさんを支える会」解散後、私たちは有志で「なくせ冤罪!市民評議会」という新組織を設立しました。冤罪の原因究明と再発防止のための刑事司法改革を市民の手で実現することを目指して活動を続けていきます。
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第2回 2013.4.9 講師 宮 本 弘 典さん
(関東学院大学教授)
戦後刑事司法改革の蹉跌-戦時刑事手続きの残照とその強化 |
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刑事司法における拷問というと、私たちは、薄暗い地下牢で非合法にこっそり行うものだと考えがちです。横浜事件しかり、小林多喜二しかりです。
しかし刑事裁判の長い歴史を振り返ると、拷問が違法な手続きとされたのは、たかだか250年の歴史でしかないのですね。それ以前は、自白は事実の証明にとって最も確実にして信頼出来る証拠とされ、自白を得るために、拷問が正規の法的な制度として取り入れられていました。しかし、治安維持法下の横浜事件とか、最近の足利事件、布川事件、富山・氷見事件等で明らかなように、自白は最も危険な証拠です。にもかかわらず、なぜ日本の刑事裁判は相変わらず自白を中心とした裁判手続きを維持しているのか。
刑事裁判そのものについて、注目しておかなければならないのは検察官の権限です。さらに検察権限を補完するものとして、裁判官の自由裁量権が魔女裁判の頃よりもひどい形で為されていることです。
戦前の旧刑訴法では、検察官の逮捕権限とか取調べ権限を否定していました。ところが1941年以降、総力戦に即応する戦時刑事特別法で、検察官の強制捜査権限を認めました。そして、検察官が作成した供述調書をそのまま証拠にできるシステムにし、裁判官は証拠説明しなくていいことにしました。
1945年、ポツダム宣言の受諾によって、国家警察が解体され、軍隊がなくなる一方で、検察官の強制捜査権限はそのまま残し、供述調書を証拠とする刑事裁判の方式も温存されたのです。裁判官は判決には必ず判決の理由を書かなければなりませんが、採用した証拠に関しては、証拠の標目だけを掲げればいいわけです。治安維持法体制下の裁判と同じ方式が現在も続いているわけです。
「無罪の発見」が裁判の使命
刑事裁判の最大の使命は「無罪の発見」です。この精神が少なくとも建て前としてでも貫徹していれば、過ちを正すのは裁判所の使命であり、検察官の使命だということになります。そうすると、国家機関としての刑事裁判で仮に間違えて有罪判決を下したのかもしれないという主張がどこかから上がってくれば、それが本当に誤りだったのかどうかを検証するのは検察官の第一の義務だということになります。ところが、刑事裁判の論理はそうではないから、検察官は再審の主張に対してノーと言うんです。しかも証拠も隠している。
反逆する者を裁く特別な裁判形式として自白裁判が一般化したという歴史を知っていれば、現在の日本の刑事裁判はまさに圧政下での刑事裁判の形なのです。だから、再審運動の一つの実践的な営みとして証拠開示運動というのは実に効果的です。
星野再審は希望
星野再審はじめ、あらゆる再審運動や裁判闘争が我々の人権を守り希望を育てる闘いです。少なくとも刑事裁判については日本の戦後は始まっていない。星野再審運動が現に存在している、ということ自体が実に画期的なことです。政治犯に対しては国・権力は何もかもかなぐり捨ててやってきます。そういう事件において一つの再審運動そのものが成り立っている、そして、それが長く継続をしていること自体がまず、裁判所に対する大きなプレッシャーです。星野再審運動は希望を育てる実践です。その実現は、日本の刑事裁判そのものの変革、歴史的には、あれから日本の裁判が変わったんだと評価される事件になりうる事件だと考えています。 |
第1回 2013.2.21 講師 金 元 重さん
(千葉商科大学教授、国鉄闘争全国運動呼びかけ人)
在日韓国人政治犯の再審と韓国民主化運動 |
2月21日、東京の弁護士会館で、全証拠開示大運動の第1回学習会を開催しました。
「在日韓国人政治犯の再審と韓国民主化運動」と題する金 キムウォンジュン 元重先生(賛同人・千葉商科大学)の講演に、60名の参加者は深い感銘に包まれて聞き入り、多くを学びました。 司会は再審弁護団の藤田城治弁護士。鈴木達夫弁護団長が、再審の現段階と方針について明快に提起された後、金先生の講演に入りました。
裁判長が謝罪
金先生は、最初に「再審とは人権の回復です。星野さんの再審とは時代も国も違うという背景の違いがありますが、私自身の個人的な体験でも、運動に役立つことがあるのかも知れないと思ってお話しします」という思いを語りました。 在日韓国人の金先生は、韓国に留学中の1975年10月17日、韓国中央情報部(KCIA)に令状なしで連行されました(11・22事件と言われ、在日韓国人ら21人の留学生が「大学に浸透した北朝鮮のスパイ団」としてデッチあげられ、逮捕された)。 金先生は、約3週間にわたる不当な長期拘禁状態で、眠らせないとか、両手両足を警棒で殴打するなどの拷問を受けました。裁判では検事が無期を求刑、一審が10年、二審で7年の重刑判決を下され、大テジュン
田矯導所特別舎で服役。1982年12月19日に刑期満了で出獄するという、苛酷にしてすさまじい弾圧と闘い抜いてきました。 そして金先生は、2011年4月28日に再審を請求し、2012年3月29日に再審無罪を勝ち取りました。判決で裁判長は「長い間わが国の現代史の痛みを、誤った部分を耐えようと大変なご苦労をなさったと思います。その間裁判をしながらも何とも申し上げる言葉がなく、台なしにされた歳月はどのようにしても取り戻すすべがないことが残念でなりません」と述べたとのことです。
全国民的な拷問糾弾
金先生は、この再審無罪が韓国労働者民衆のたゆみない民主化闘争によるものであり、とりわけ「刑事司法の民主化と人権」のたたかいなくしてありえなかったこと、さらにご自身の再審も民主化闘争の一環としてたたかったと言われました。 「1987年6月民主化闘争の起爆剤となったのが朴鐘哲氏の拷問致死事件を契機とする『拷問政治糾弾』の闘いだった。
ソウル大生朴氏が治安本部(警察庁)対共分室に連行され、水拷問で死亡した事件で、拷問の隠蔽工作があったことが明らかになり、全国的な6月闘争が展開された。人間の尊厳性、身体の自由、良心の自由に対する渇望を根源に、人間から生存の希望を奪い取ってしまう拷問への怒りが、ネクタイ姿のサラリーマンも参加した全国民的な闘いとなり、国民は、これ以上存立する価値がない政権の打倒へと乗り出していった。
これまで裁判所は、いくら拷問の事実を主張しても『お前だけが言っていることで証明するものはない』と認めなかった。それが認められるようになったのは非常に大きな転換だ。このように1987年に全斗煥軍事独裁政権が倒されるのは『反拷問』という大きなインパクトがあったからだ」と、具体的資料を示しながら詳細に話してくれました。 金先生は、ご自身の再審の判決のために韓国へ行く時、星野文昭さんのカレンダーと暁子さんの手紙を持って飛行機に乗ったそうです。そして、金先生と同じ年に逮捕されて、今なお38年間も獄中でたたかっている政治犯が日本にいることを、韓国で話したと語っています。 金先生のたたかい、韓国の労働者民衆のたたかいに学び、星野さん解放運動を、全労働者民衆のたたかいと共にかちとろう。
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