追悼 柴田作治郎さん
柴田作治郎さんの遺志を受けついで
星野文昭さんを取り戻します
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柴田作治郎さん告別の会
事務局  金 山 克 巳

              

 3月16日、共同代表の柴田作治郎さんとお別れする「告別の会」が札幌市の北海道クリスチャン・センターで行われ、全国から120人が集まりました。星野暁子さんと共に私も参列しました。
 1960年代半ば、牧師になったばかりの柴田さんは、当時住んでいた京都市から大阪府堺市の工業地帯に通い、労働組合を回る活動を担当されたそうです。そこで様々な問題を話し合ったことが、彼の原点になったと紹介されました。80年代後半、国鉄の分割・民営化に反対したために教会の牧師を退かざるを得なくなった柴田さんは、自宅の一階を小樽望洋台教会とし、社会の不正義や抑圧との闘いを訴え続けました。毎週の訴えは、戦争責任から、靖国神社、アイヌ民族、沖縄闘争、反原発などあらゆる問題に及んでおり、中でも天皇制反対は一貫していました。
 暁子さんは、96年に文昭さんのお母さんと一緒に柴田さんを訪ね、北海道救う会代表への就任をお願いし、「柴田が責任をもって引き受けます」と快諾して頂いたこと、柴田さんが2006年に星野文昭さんと面会したことを語り、「柴田先生の意思をついで必ず文昭を取り戻します」と誓いました。



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