星野文昭氏に関する3人の供述人の供述の正確さに関する心理学的鑑定 (その1) 平成22年9月4日 日本大学文理学部心理学研究室 教授 厳島行雄 文学博士 名古屋大学大学院環境学研究科 准教授 北神慎司 博士(教育学) 目次 鑑定事項 鑑定資料 本編 序 目撃者証言がなぜ問題になるのか:一心理学者の本件にいたる鑑定歴について 第1章 本鑑定の前提となる科学的記憶研究の概説 第1節 目撃証言心理学の発展 第2節 目撃証言による誤った告発や誤判 第3節 人間の記憶の働きと目撃者の記憶の正確さに影響する諸要因 第4節 目撃証言に影響する諸要因の区分 第2章 供述の解明に参照すべき心理学的メカニズム 第1節 出来事の時間的経過の長さの推定について 第2節 スキーマや期待の効果 第3節 強い情動喚起やストレスのもとでの経験の記憶 第4節 長期の保持の効果 第5節 被害者への反復された事情聴取による誤った記憶の形成 第6節 短時間の目撃 第7節 無意識的転移 第8節 社会的影響の効果 第3章 鑑定書(その1)のまとめ 1 鑑定事項 (1)供述調書の鑑定(殴打関係) 唐沢勤氏の2・14、4・26各検察官調書に記載されている「星野文昭さんが中村巡査を殴打していた」旨の供述は唐沢氏の真実の記憶に基づくものであるのか否か。 (2)供述調書の鑑定(火炎びん投てきの指示関係) 青山達弘氏の2・16検察官調書及び荒木保久氏の4・12検察官調書に記載されている「星野文昭さんが火炎びん投てきの指示をした」旨の供述は彼らの真実の記憶に基づくものであるのか否か。 (3)確定判決の鑑定(殴打及び火炎びん投てきの指示関係) 確定判決(1983年7月13日、本件確定判決・東京高等裁判所第11刑事部)の「理由」の「第二」の「四」の「2」の「(三)」の内、「(1)被告人星野の中村巡査に対する殴打」、「(2)被告人星野の火炎びん投てきの指示」が依拠する供述調書が、心理学的知見からその判断は適切か否か。 (4)最高裁特別抗告棄却決定の鑑定(星野文昭の特定に関する部分) 最高裁特別抗告棄却決定(08年7月14日)は、唐沢氏は後ろ姿、声で星野文昭と分かったと判断しているが、心理学的知見からその判断は適切か否か。 2 鑑定資料 (1)供述人唐沢勤の供述調書 同人の検察官調書及び警察官調書(別紙一覧表記載) (2)供述人青山達弘の調書 同人の検察官調書及び警察官調書(別紙一覧表記載) (3)供述人荒木保久の調書 同人の検察官調書及び警察官調書(別紙一覧表記載) (4)確定判決(1983年7月13日、本件確定判決・東京高等裁判所第11刑事部) (5)最高裁特別抗告棄却決定(08年7月14日、平成16年(し)第27号) 序 目撃者証言がなぜ問題になるのか一心理学者の本件にいたる鑑定歴について 1 自民党本部放火事件の目撃証言の鑑定 1989年夏、自民党本部放火事件において犯人とされたF氏の公判が東京地裁で進行中であった。決め手となる目撃証言が二つあった。一つは現役の警察官Y氏の証言であり、Y氏は事件発生の直前に権田原交差点の立ち番勤務の折に、交差点を左折するトヨタライトエースの助手席にF氏を見たとの供述を行い(目撃から約2週間後)、その後、員面、検面、法廷証言でもF氏の詳細な身体的特徴、乗っていた車の詳細な特徴を述べた。また写真帳に寄る識別でF氏を同定し、助手席に乗っていた人物に間違いないと証言した。 もう一人の目撃者はこの放火に使用された電磁弁を、事件の一ヶ月前に協和電気の“小島”と名乗る人物に販売したと言う女子店員Tさんの目撃である。店舗は秋葉原にあり、小島なる人物は事前に電話で電磁弁10個の在庫を確認して、店に来たという。事件から約2ヶ月後、警察はこの店を突き止め(つまり、目撃から3ヶ月後)、Tさんから情報を聴取し、さらに写真識別を行った。Tさんは最初、警察に対して記憶が定かでないので識別はできないと断ったが、警察は、誰でも良いから似ている人を選ぶように求めた。そこで、彼女はF氏を選んだという。 この事件において東京地裁では、主にY証言が問題になり、私(厳島)はY氏の目撃供述の信用性に関する鑑定を行うことになった。当時私は人間の記憶の研究を行ってはいたが、目撃証言のような現実世界における記憶を研究してはいなかった。たぶん、日本にそのような記憶研究をしている心理学者は一人もいなかったろう。しかし、確かにこのようなY氏の記憶の信用性なり正確さが、被告人の人生を左右するとしたら(そしてF氏は目撃当夜は埼玉県の宿において学習会をしていたとアリバイを主張していた)、それは確かに私たち心理学のプロがY氏の記憶の正確さを科学的に評価する以外にないと考えた。そこでY氏の記憶の正確さを評価する鑑定を引き受けることにした。 その1989年の夏以来、私は目撃供述の信用性の研究を開始したのだった。しかし、日本における研究はほんの数本の論文があるだけで、あとはロフタス女史の「目撃者の証言」が翻訳されている程度であった。しかし、そのような研究だけで事足りるわけではない。多くの海外の研究があることを知ると、それらを読み、知識を得ると同時に独自の評価方法を考えなくてはならなかった。その方法の一つが、シミュレーション(模擬)実験であった。いくつかの試行錯誤を経て、最終的にY証人が目撃した権田原交差点で、Y証人が目撃したとされる実験車両を多くの人に見てもらい(もちろん、その目撃自体が目撃であると悟られないように参加者には別の目的を伝えて)、その結果、Y氏と同じような供述内容、正確な識別が得られれば、Y氏の目撃供述や識別の正確さは高まる。然るに、もし、Y氏のような詳細な人物特徴の説明や、正確な識別が得られないとすると、Y氏の記憶内容は本人の目撃の体験で得られた情報以上に、他の情報のソース(起源)から得られたものと判断せざるを得なくなる。 そこで、裁判所にお願いし、2日間、権田原交差点の交番前を使用できるように求めて、許可を頂いた(高橋省吾裁判長であった)。1990年夏のことであった。周到に計画を立て、36名の参加者が目撃を行い、2週間後にインタビューと識別を受けた。その結果は、驚くべきものであった。Y氏が述べるような詳細な目撃した人物の特徴はまったく供述されなかった。それどころか目撃したはずの車の特徴、助手席に人が乗っていたかどうかですら、曖昧であった。実験車両らしい車に言及したのはほんの数名であった。 写真識別はバイアスのかからない(Y氏が見た写真帳は、特定の人物が選ばれやすいという特徴を有しており、これを心理学ではバイアスという)ように作成し、ここから目撃した人物を選んでもらうように試みた。選べるとして選んだのは、たったの数人であった。車の助手席に乗っていた人物を選べた人は一人もいなかった。 この結果は、一体何なのか。夜間で照度が低く、短時間の移動する対象の人物の目撃では、そもそもその人物の特徴を認識することすら難しいことがわかった。そして、Y氏の記憶は、自身の経験以外の起源から情報を得て形成されたものだと指摘できた。私はこの実験結果を以て、東京地裁で弁護側の証人として証言した。判決では東京地裁は、私の名前を引用はすることはなかったが、鑑定書の趣旨を概ね引用し、Y証人の目撃の信用性を否定した。 2 ロフタス先生との出会い 本鑑定の終了後、私は世界でもっとも精力的に目撃証言の心理学的研究を行っている当時シアトルにあるワシントン大学の心理学科の教授であるElizabeth F. Loft's(エリザベス・ロフタス)女史に会いに出かけた。教えを請うことと、自分の今後について考えるための意見を求めるためであった。彼女は、「日本に目撃証言の心理学を専門にする者はいないのか」と尋ねた。私が「いないと思う」と答えると、「ではなぜあなたが専門家にならないのか?」と言われた。「司法に携わる専門家は法の専門家であっても、心理学の専門家ではない。故に、司法を教育する人材が必要なのだ」と。私は「日本では教えてくれる人がいないし、そういう環境もない」と伝えたところ、時間を見つけて私のところにいつでも来たら良いと研究室の鍵をくれた。1991年3月のことであった。それ以来、毎年夏や春の休みを利用して、彼女の研究室を訪ねた。授業に出たり、論文を読んだり、シアトルの法廷を見学したりが続いた。その間、日本の文部省(現在の文科省)の科学研究費にも応募し、今日にいたるまで基盤研究という科目では、一度も落とされることなく、目撃証言の心理学的研究を続けてきている。 またロフタス先生の「Witness for the Defense」(目撃証言)も読むように勧められ、その内容のすばらしさに、翻訳するに至った(岩波書店刊)。そのような経緯から、私は目撃証言の心理学の専門家になった。 3 さらなる研究とその後の鑑定経験について その後、私は目撃証言の心理学研究を展開させ、さらに目撃証言の信用性を争う事件の鑑定を受けるようになった。私が鑑定した事件には、皇居迫撃砲事件、布川事件、飯塚事件、晴山事件、三崎事件、・・・などに関わる目撃証言がある。 この中の何人かは、死刑囚でありながら死刑にならずに獄死した。再審請求の只中になくなっている。また死刑になった事件もある。私は多くの科学的文献を読み、また欧米の誤判研究を知るようになって、この誤判原因が目撃者の証言や識別にあることを知るようになった(この詳細は本鑑定書の第1章に示した)。そして、なぜ目撃証言が信用できなくなるのかに関わる多くの原因があり、それらは科学的に明らかにされているし、私自身も微力ではあるものの、そのような解明の一翼を担ってきたし、現在も研究の仕事を続けている。 そういうなかで、本件の鑑定も引き受けることになった。私はまず供述調書をじっくり読み込む。日本の供述調書は独白体で書かれている。本来なら、公判証言のように、問う側と答える側とのやりとりが正確に記述される必要がある。取り調べる側からどのような質問がなされたかが見えていることが大切である。これは、質問の仕方で回答者にどのような圧力がかかり、どのような情報が与えられ、どのような意図をもって質問がなされたか等がわかり、その後の取り調べを受けた側の記憶にどのような影響が出るのかが、科学的事実や法則に基づいて、推測可能だからである。 しかし、残念ながら、日本の供述調書はそういう形にはなっていない。しかし、言い方を変えれば、そういう調書だからこそ、記述の完全さを求めて、却って私たちの記憶の働きとは異なるような調書が出来上がってくる。先ほどの自民党本部放火事件におけるY証言はまさにそのような典型である。特に検察官調書が酷い。 これにはたぶん、理由がある。検察官の記憶に関する素朴な理論には、「きっと目撃しているのだから覚えているはずだ」との主張が大きく幅をきかせているに違いない。であるから、「目撃者は詳細まで覚えているはずで、それはしっかり考えることで思い出せるはずだ」と信じている。しかし、記憶の心理学や目撃証言の心理学は、次のことを明らかにしている。すなわち、人間の記憶が1)不完全で、2)情報が不足していれば、スキーマと呼ばれる私たちが既に持っている知識から推論して、その不足を埋めてしまう。また、私たちの記憶は本人が重要だと思えば、それが幅をきかせ、他の重要な情報を覆い隠してしまう。さらに、注意を払った対象は比較的良く認識されるものの、そうでないものは認識されにくい。また他者からの意見を容易に、しかも無意識的に記憶に取り込んでしまう。 私の相当数の鑑定経験から、そして心理学の科学的発見から、私たちの記憶は完全にはほど遠いことが明らかである。それは、壊れやすく、形を変えやすく、しかも忘却からも逃れられないのである。 4 本件の鑑定についてまず思ったこと 本件の鑑定を引き受けたときに、各供述人の調書のあまりの多さに驚きを覚えた。そしてそういう供述が多いということは、それだけ多くの情報が提供され、記憶はそれらの情報に歪められ、経験した出来事とは似ても似つかない記憶が形成されている可能性が高いことを注意しなくてはならないと心に留めた。 長時間の取り調べの中で展開される、取り調べられる側と取り調べる側が相互作用を起こしながら作られていく物語―それが独白体の調書となって私たちの前に現れるのである。 5 本鑑定書(その1)について 本鑑定書(その1)では、まず、こうした供述調書等における供述の正確性・信用性を検討するにあたって、参照すべき記憶の心理学や目撃証言の心理学が明らかにしている科学的知見についてまとめた。 そして、これに基づき本件確定判決が引用した各供述調書を分析した結果は、本意見書(その2)で明らかにする。 第1章 本鑑定の前提となる科学的記憶研究の概説 第1節 目撃証言心理学の発展 人間の記憶がどのように働くのかに関して、心理学は100年以上にわたり、その解明を目指してきた。特にここ40年の記憶の心理学研究には目を見張るべきものがある。記憶研究の発展で特に著しい研究の発展は、目撃証言の心理学において成し遂げられた。目撃証言の心理学研究が盛んになり、目撃者の記憶がどのように歪み、また忘却されるのかは、心理学者にとっても社会にとってもまた法的世界に従事する専門家においても重要な関心事であったし、現在でもありつづけている。 そのような関心が持たれるにはそれなりの理由がある。つまり、えん罪の存在である。なぜ記憶が誤るのか、その原因を解明すること、そしてその原因を解消することでえん罪を防ぐこと、この二つの大きな目的のために、目撃証言心理学が発展してきたのである。もちろん、その背景にはもっと細かな下位の目的もあるし、心理学内の事情もある。しかし、そのような心理学界(心理学ワールド)のお家の事情はともかく、社会的正義のための目撃心理学研究が1970年代から欧米で本格的にスタートしたのである。以下、幾分とも詳細に以上の点を説明しよう。 目撃証言がなぜ問題になるのか。それは過去、目撃証言によって誤った告発がなされたり、誤って被告人の人生が奪われるという悲劇が繰り返されてきたためである。目撃証言の心理学は、誤った目撃証言によって引き起こされる悲劇を最小現にくいとめ、無実の者には自由を、真犯人には有罪を与えることができるようにするための、科学的な心理学的知識の蓄積をめざす応用認知心理学の一領域といえる。また、この学問領域が法や裁判の世界と関わるという意味で、法心理学(legal psychology)や裁判心理学(forensic psychology)とよばれる領域の一分野を形成していると考えることができる。このような学問領域が形成された背景には、それを心理学の立場から考えるなら、1)現実的な法的問題解決のために心理学への要求が高まったこと、2)基礎研究に従事していた心理学者が、それらの要求に応えようという気運が増したこと、3)心理学における多様な研究方法が開発されてきたこと、4)認知心理学が成熟し、理論的体系が充実したこと、などが挙げられよう。 法と心理という学問体系が形成される過程で、アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリアなどに関連学会が創設され、また多くの学術専門雑誌が発行されるようになった。たとえば、アメリカ合衆国ではCriminal Justice & Behaviorが1974年に、Law and Psychology Reviewが1975年に、Law and Human Behaviorが1977年に、Behavioral Sciences and the Lawが1982年に、Psychology, Public Policy, and Lawが1995年に発行されるようになった。イギリスではCriminal Behavior and Mental Healthが1990年に、Psychology、 Crime & Lawが1994年に、Legal and Criminological Psychologyが1996年に発行されるようになった。日本では2000年に「法と心理学会」が設立され、2001年に学会の学術専門雑誌である「法と心理」が発行された。以上のように、それぞれの国において法と心理学という二つの異なる研究領域が解決すべき問題を共有し、その問題解決のための新しい方法論を模索している様子がうかがえる。もちろん、この新しい法と心理学の学問領域は極めて現実的な実際の問題を扱うために、研究テーマの広大さや複雑さゆえに、科学的アプローチの困難さを伴う。しかしながら、両学問領域が協力して困難な課題の解決を模索するという体制が求められていると同時に、西洋諸国ではすでにそのような体制が確立しはじめており、新しい学問領域として定着してきていることがわかる。 このような動きは法と心理学の関わりがいっそう強くなることを予想させるし、法と心理学の新しい研究の枠組みや問題意識の形式化を要求するようになるだろう。しかしながらわが国では、法と心理学の学問領域を形成しようという試みはその緒に着いたばかりである。そこで本章では、法と心理学の一分野を形成する目撃証言の心理学が、どのような問題意識のもとに、どのように発展してきたのか、そして現在どのような問題が研究の俎上にのぼっているのかを解説する。 第2節 目撃証言による誤った告発や誤判 目撃証言によって、過去に実際どれほど誤った告発や誤判が存在したのであろうか。アメリカ心理学会が発行する機関誌American Psychologistに掲載された論文によると、ウエルズ、スモール、ペンロッド、マルパス、ファレロ、ブリマコンブ(Wells, Small, Penrod, Malpass, Fulero, & Brimacombe、1998)は、アメリカ国立司法研究所によって委任された最近の報告書のなかで(コナーズ、ランドレガン、ミラー、マッキワン、Connors, Lundregan, Miller, & McEwan, 1996)、事件発生当時にはDNA分析が不可能であったためにそのような証拠が得られなかった事件に関して、DNA分析を用いて28の事件で受刑者が無罪放免とされたと報告している。ウエルズら(Wells et al., 1998)はその論文で、同様にDNA鑑定で無罪が証明された12の事件を加えて、これらの冤罪の原因を分析している。 それら40の事件のうち実に36件(90%にあたる)で、一人もしくはそれ以上の目撃者が誤って被告人を犯人として識別したのである。事件のなかには5人の目撃者が誤って識別したものもあった。これら40のケースは意図的に選択されたのではなく、アメリカ合衆国内でのDNA分析によって無実が確認された最初の40の事件を並べただけのものである。つまり、目撃証言が問題であるものが意図的に選ばれたのではないことを認識しておくことが肝要である。そのように、多くの冤罪が目撃証言に基づいて生じていることを改めて認識し、目撃証言の信用性を科学することが、誤った告発や誤判という不正義と悲劇を繰り返さないためにも必要不可欠の要件なのである。 まず、目撃証言によって起こった誤判を分析して、目撃証言に過剰な信頼をおくことの危険性を指摘したラトナー(Rattner, 1988)の研究を紹介しよう。 1.ラトナーの誤判研究 ラトナー(Rattner, 1988)の検討はアメリカ合衆国における事件を検証したものである。残念ながら、目撃証言による誤った告発や誤判がどれほどあるのかを系統的に分析した研究がわが国には存在しないために、その実体を知ることは不可能であるが、彼の使用した方法やその結果は、私たちにも有用な知識を提供してくれるであろう。 ラトナー(Rattner, 1988)は、誤った識別手続きによって過去に多くの冤罪が生まれてきたと指摘する。たとえば、アメリカ合衆国では、誤った告発について以下のような報告書や著作が存在し、それらの著作や報告書に紹介されたケースが分析の対象となっている。そこでまず、それらの著作を簡単に紹介すると、ラディン(Radin, 1964)は、“The innocents”の中で80件の誤った告発を分析している。ボーチャード(Borchard, 1932)は、“Convicting the innocent: Sixty-five actual errors of criminal justice”で、裁判上の誤りによって生じた65件の刑事事件の分析をおこなった。またフランク(Frank, 1957)は、“Not guilty”で34の無実の人物への誤った告発を分析している。またラトナー(Rattner, 1988)の分析には使用されていないが、イギリスでもブランドンとデービス(Brandon & Davies, 1973)が“Wrongful imprisonment: Mistaken convictions and their consequences”において、1950年から1970年の間に起こった誤った告発のうちの70ケースを分析している。この分析の中で二人は、誤った告発の主要な原因が、告訴された者と証人の対面での不十分な識別、精神薄弱者やそれ以外の精神的に不適切な人物の自白、同時公判(joint trials)、性犯罪における偽証、不適切な弁護、証人として犯罪者を使用する等にあることを明らかにした。以上のとおり、誤った告発には様々な原因があるものの、これらを体系的に検討した研究は少ない。Rattner(1988)の研究報告は数少ない例外である。この研究の特徴は、ケース調査法を採用して、誤った告発の原因を探ろうとしている点にある。具体的にその研究の内容を検討する。 ラトナー(Rattner, 1988)は、1900年以降に起こった事件で、誤った判決と考えられる事件を、前述した複数のデータベースから収集し、315件の事件をリストアップした。さらにその中からデータの欠損しているものを除き、比較的資料が揃っている205件を分析の対象とした。これらの分析された205件の情報源を示したものが表1である。 表1 情報検索で得られた誤った告発事件の件数の分布 ソース 頻度 百分率 Radin(ラディン) 60 29.3 Borchard(ボーチャード) 54 26.3 Frank(フランク) 29 14.1 Gardner(ガードナー) 13 6.3 Block(ブロック) 1 0.5 Loft's(ロフタス) 2 1.0 Ehrmann(アーマン) 5 2.4 新聞および法律関係の報告書 41 20.0 N=205 100.0 表1には、情報検索の結果選ばれたケースの情報の起源が示されている。ここで取り上げられた誤った告発のケースのうち、46%が1920年から1939年までの間に起こったものである。このようにデータが年代的に片寄っているのは、情報の起源となった本(Borchard、 1932; Frank、 1957; Gardner、 1952)がたまたま1920年代、30年代に起こった事件を取り上げたものであったからである。 これら205件のケースの犯罪のタイプを示したものが表2に示されている。もっとも頻度が高い犯罪が殺人で、取り上げられたケース43パーセントを占めている。次には強盗が30%と続き、この二つの犯罪で7割以上を占めていることになる。そして、強姦、文書偽造、窃盗、暴行と続く。殺人と分類されたものには、第一級殺人、第二級殺人、等級なしの殺人、故殺、殺人未遂が含まれている。強盗には凶器を持ったものとそうでないものが含まれている。強姦には強制強姦、未遂、性的暴行が含まれている。 表2 誤った告発の犯罪のタイプとその頻度、割合 犯罪 頻度 パーセント(相対) パーセント(修正) 殺人 88 42.9 44.7 強盗 60 29.3 30.5 強姦 24 11.7 12.2 文書偽造 14 6.8 7.1 窃盗 6 2.9 3.0 暴行 4 2.0 2.0 放火 1 0.5 0.5 報告なし 8 3.9 ----- N=205 100.0 100.0 次に、分析対象となったケースに対して与えられた処罰を示したものが表3である。 表3 刑期の種類からみた誤った告発事件の分布 判決 分布 パーセント(相対)パーセント(修正) 死刑 21 10.24 12.13 終身刑 58 28.29 35.52 懲役 94 45.80 54.33 刑期不明(データ欠落) 32 15.60 -------- N=205 100.0 100.0 ここで死刑という究極の刑の宣告を受けたものが10%にも及んでいる。このように死刑囚が多いのは、アメリカ合衆国における極刑の増加が、誤ったリスクの増加をも示したものと考えることもできよう。そしてこの死刑の判決を受けた21件のうちの15件で死刑が終身刑に減じられ、収監途中で無実が証明されて囚人は釈放されたことがわかっている。残りの5件では死刑が執行される前に釈放された。死刑以外の刑期では、終身刑が約28%であった。重い刑罰で誤った告発の多いことが見て取れる。さらに懲役が45%であった。ここでは終身刑と死刑を併せて4割近い比率であることが認められる。 ではこれらの事件で誤った告発がどのような原因によって起こっているのであろうか。その内訳が表4に示されている。 表4 誤った告発に寄与した誤りのタイプ 誤りのタイプ 頻度 パーセント(相対) パーセント(修正) 目撃者の誤識別 100 48.4 52.3 証人の偽証 21 10.2 11.0 刑事裁判当局者による怠慢 19 9.3 9.9 純粋な誤り 16 7.8 8.4 強制された自白 16 7.8 8.4 でっちあげ 8 3.9 4.2 刑事裁判当局者による偽証 5 2.4 2.6 過去の犯罪歴による警察官識別 3 1.5 1.6 裁判科学による誤り 3 1.5 1.6 他の誤り(データ欠落) 14 8.8 ----- N=205 100.0 100.0 表4に明らかなように、誤った告発の最大の原因となるのは誤った識別である。なんと全体の50%近くがこの目撃識別によっているのである。他の要因は、証人の偽証、刑事裁判当局者による怠慢 、純粋な誤り、強制された自白と続く。しかしながら、目撃者識別による誤りが48%と圧倒的に多いことに驚かされる。 ラトナー(Rattner, 1988)が指摘しているように、これらの要因が重なり合っているケースもある。さらに目撃証言が最も危うい証拠となる危険性が指摘できるにしても、その識別手続きのどのような部分、どのような方法が問題となるかに関しては、この論文からは明瞭な答えが得られていない。それらは事件によって異なるであろう。もちろん個々のケースに当たらなくては詳細は明らかにならないが、目撃証言の信用性に影響する諸要因については多くの研究が蓄積されてきているので、詳細はそちらを参照してほしい(たとえば紹介としては、厳島,2000,第8章など)。 ところで、誤った識別の数を正確に推定する方法はあるのだろうか。答えは否である。ラトナー(Rattner, 1988)の扱った誤った告発はあくまでも表面に現われた氷山の一角に過ぎない。実際、ラトナ?は1983年の博士論文でその数の推定を行い、FBIがインデックス・クライムと呼ぶ重大犯罪(殺人、強盗、強制強姦、文書偽造、窃盗、放火、暴行)によって逮捕され、告発された人々の0.5%は誤って告発されているのではないかと推定している。この値は統計的には小さい値であるが、実際にこれを事件の数値に当てはめて計算してみれば、毎年8,500件近くの事件で誤った告発が行われているのではないかと推定される(ロフタスとケッチャム Loft's & Ketcham, 1991)。この推定値が異常に高いとして、実際はその半分の率0.25%であったとしても、4,250件の誤った告発がなされることになる。さらにその半分の推定値でも2,125件の誤った告発がなされていることになる。もちろんこの数値はアメリカ合衆国のものであり、わが国ではそのような推定値すら明らかにされていなし、実際にどの程度の誤った告発があるのか知る由もない。しかし、誤った告発の半数近くが目撃証言の関与した事件であるとの事実を知るとき、その目撃証言の正体を科学することこそ、心理学者に求められる課題であると言わなくてはならない。 2.Innocence Projectによる活動 先ほどのDNA分析によって無実が明らかになった事例は、当初、二人の弁護士(Barry Scheck とPeter Neufeld)によって初めて試みられた、イギリスから輸入されたDNAの分析技法によって明らかにされたMarion Coaklyの事件であった(Scheck, Neufeld, & Dwyer, 2003)。この事件では、性的暴行の容疑者としてMarion Coaklyが逮捕された。彼は無実を叫ぶものの、その主張は聞き入れられなかった。しかし、二人の熱心な弁護士の働きで、とうとうDNA分析による検査にこぎ着けた。彼のDNAのパターンは犯人のそれと一致しなかった。無実が証明されたのである。 その後、二人は、無実であるのに誤って有罪とされた人々をDNAの検査によって救済する全国規模の訴訟組織であり、また不正義を防ぐために刑事司法制度を改革しようとする公共政策組織でもある、このInnocence Projectを立ち上げた。現在(2010年9月29日の時点)、このprojectが始まってからすでに259人の囚人が無実を証明され、釈放されてきている。そしてこれらの誤った裁判の75%を超えるケースで、誤った識別が主要な原因になっていると報告されている。 以上のように、Rattner(1988)の報告や、Wells et al.(1998)の報告のほぼ中程度の率を示すInnocence Projectの割合は、裁判が誤る場合の、目撃証言による確率がどの程度かを示す良い推定値なのかもしれない。もちろん、このことはすべての目撃証言が信用できないことを意味しているのではない。目撃時間が長く、覚えることの意図が介在し、十分な照明があり、証言までの時間が短ければ、そのような目撃証言や目撃識別は正確である確率は高い。ただ、そのような条件が満たされていても、後に詳述するように、識別の折りにバイアスのかかった識別方法が採用されるとなると、その識別結果の信用性には大いなる疑義が生じることになる。 誤った記憶が社会に強い影響を与えるのである。そしてその記憶は司法の場で報告され、容疑者個人、容疑者家族、被害者、被害者家族、それらの家族をとりまく社会に強い影響を与え続けるのである。 第3節 人間の記憶の働きと目撃者の記憶の正確さに影響する諸要因 では、どうして目撃供述が誤ったりするのだろうか。人間の記憶が歪むのは様々な要因による。表5に掲げたのはそのような要因のなかでも代表的なものである。というのは、これらの要因はKassin, Tubb, Hosch, & Memon(2001)の目撃証言研究で取り上げられた事実や要因に関する調査で対象となった重要な項目だからである。この研究では、目撃証言研究の専門家に表5の項目とその説明を提示し、それらがどれほど信用にたるものかを評定してもらい、さらにそれらのテーマで法廷にどれほど立つ意思があるかどうかなどが調査された。表5には項目についての説明が支持されると判断された回答の割合を(分数)の形で示した。実際には多くの判断の段階があるものを注に示すように要約したものである。ここでは30の要因や事実等が示されているが、もちろん、目撃証言の信用性に影響する要因や明らかになった事実はここの30だけにはとどまらない。たとえば、本稿が扱う社会的影響要因はそのままの名称では出てこない。しかしラインナップの教示の要因では、ラインナップの識別時に識別を実施する者がどのような説明をするかによって、その後の識別の成績に影響すると説明する。これなどは、まさに社会的要因の一つと考えて良いであろう。目撃者が警察に呼ばれ、写真や人物を見て欲しいと尋ねられる。そこでたとえば、「この中に犯人がいるかもしれないので探して欲しい」と言われるのと、「犯人はいないかもしれないし、いるかかもしれない」と伝えられるのでは、目撃者の識別しようという意思に異なった影響を及ぼすことが知られている。前者の教示では犯人の存在が仮定され、目撃者は人物の記憶が曖昧であったとしても、どうにかして選ばなくていけないという気持ちになるであろう。善良な市民として当然の協力であるし、また相手は警察という権力である。選ばないと「馬鹿」だと思われてしまうかもしれない。自分は見ているのだから覚えているはずとの強い仮定のもとに、類似した人物の写真を選んでしまうかもしれない。そのような複雑な心境が醸成され、目撃者は不正確な記憶であっても、誰かを選んでしまう。 表5 目撃証言で研究されてきたトピック(Kassin et al., 2001より作成) 1.ストレス:高い水準のストレスは目撃証言の正確さを損なう(40/62) 2.凶器注目:武器が存在すると,目撃者が犯人の顔を正しく識別する能力が損なわれる(56/63) 3.ショーアップ:ラインナップによらない単独面通しは誤識別の危険性を高める(41/63) 4.ラインナップの公平さ:ラインナップの構成員が容疑者に似ているほど,容疑者の識別が正確である確率は高まる(33/61) 5.ラインナップの教示:警察官の教示で目撃者の識別の意志に影響が出る(56/61) 6.知覚時間:目撃者が出来事を見る時間が短くなればなるほど,出来事を想起できなくなる(50/60) 7.忘却曲線:記憶の忘却は出来事の直後にもっとも大きく,それからは時間の経過とともに徐々に忘却が進む(49/62) 8.正確さ−確信度:目撃者が識別に自信を持っていても,自信は目撃者の識別の正確さを予測しない(55/61) 9.事後情報:出来事についての目撃証言はしばしば実際に見たことだけではなく,その後に得た情報を反映する(60/62) 10.色彩知覚:単色の光のもとで行った色彩の判断は信用できない(19/63) 11.質問の語法:出来事についての目撃証言は,証人に与えられる質問の語法によって影響を受ける(63/63) 12.無意識的転移:ときに,目撃者は別の機会に会った人物を,容疑者として識別することがある58//63) 13.訓練された観察者:警察官や他の訓練された観察者は,一般の平均的な人よりも目撃が正確であるということはない(16/62) 14.催眠の正確さ:催眠は目撃者の報告された記憶を増加させる(0/61) 15.催眠の暗示性:催眠は誘導や誤導質問への被暗示性を高める(53/63) 16.期待と態度:目撃者の出来事の知覚や記憶は,目撃者の態度や期待によって影響を受けるかもしれない(63/63) 17.出来事の凶暴性:目撃者は非暴力的出来事よりも,暴力的な出来事を想起するのが困難である(17/63) 18.異人種バイアス:目撃者は他人種の成員を識別するよりも自分の人種を識別するのにより正確である(60/63) 19.確信度の従順性:目撃者の確信度は識別の正確さとは無関係の諸要因によって影響される(60/62) 20.アルコールの摂取:アルコール摂取は目撃者のその後の人物や出来事の再生を損なう(52/63) 21.マグショットバイアス:容疑者のマグショットに曝されると後にその容疑者をラインナップから選ぶ確率が高い(62/63) 22.長期の抑圧:トラウマ的経験は何年も抑圧され、その後回復することもある(10/62) 23.誤った児童期の記憶:児童期の記憶の回復はしばしば誤っており、また何らかの点で歪んでいる(52/62) 24.弁別性:正しい記憶と誤った記憶を信頼に足るほど区分することは可能である(7/64) 25.子どもの目撃の正確性:若年の子どもは目撃者としては成人ほど正確ではない(40/64) 26.子どもの被暗示性:若年の子どもは成人に比較して、インタビューアーの暗示、仲間の圧力、社会的影響を受けやすい(60/64) 27.記述に合ったラインナップ:ラインナップの成員が目撃者による犯容疑者の記述に似ていれば似ているほど、容疑者の識別は正確になる傾向がある(33/62) 28.提示の様式:目撃者は同時提示のラインナップで提示されているときに、相対判断をすることで誤って識別をしやすい(46/62) 29.高齢の目撃者:高齢の目撃者は若い成人よりも正確ではない(32/63) 30.識別の速さ:ラインナップを見て、識別が速い目撃者は、その識別が正確な傾向がある(32/63) 注1)評定の方法は以下の7段階による。 反対がたぶん正しい、2.支持しない、 3.不確定である、4.支持の傾向、5.一般的に信用できる 6.非常に信用できる、7.わからない 注2)括弧内の数字は以上の評価のうち、上の4、5、6の項目(つまり肯定的)に判定した人数を合計したものである(分母は反応者の総数)。 第4節 目撃証言に影響する諸要因の区分 Wells(1978)とLoft's, Greene, & Doyle(1989)による分類 1 Wells(1978)による分類 以上、Kassinらの調査から、そこで使用された目撃供述の正確さに影響する要因のリストを紹介した。 しかし、この要因のリストを見ただけでは、雑然としていて、これらの要因が何かうまい区分によって分類できないものか、考えたくなる。そのような思考から生まれたのが、これらの要因を体系的に区分する試みである。そのような諸要因を系統的に区分する最初の試みはWells(1978)によって行われた。彼は推定変数(estimator variable)と、システム変数(system variable)を区分した。 推定変数とは目撃の正確さに影響を及ぼすが、司法制度の統制下にない変数のことである。この変数は研究上の条件としては統制されるかもしれないが、実際の犯罪事件では統制できない、そのような要因の影響を推定する以外にはないような変数である。 Wells(1978)は、この要因に「出来事の特徴」をあげており、犯罪の重篤さ、目撃時間、複雑さ、熟知性などが分類される。この要因にはさらに「被告人の特徴」も挙げられ、そこには人種、魅力、性、年齢が分類されている。さらに「目撃者の特徴」も挙げられており、ここでは「被告人の特徴」で挙げた、人種、魅力、性、年齢などが関与することが指摘されている。またこの「目撃者の特徴」には、知覚的構えも考慮されている。ただ、この推定変数は、実際の事件や事故においてはその要因の影響を推定せざるを得ないものの、それらの要因の基礎的な研究が重要であることは言を俟たない。 一方、システム変数とは司法制度が直接統制することができる変数である。つまり司法のもとで改善可能な方策が立てられる要因である。このシステム変数には「保持間隔」の要因が挙げられ、時間、暗示的尋問、合成画、マグショットが分類されている。また「識別検査」には、質問の構造、ラインナップの教示、ラインナップの構造が含まれる。これらの要因の研究が進めば、誤って無実の者を有罪とし、真犯人を誤って無罪にするという過誤を少なくできることになる。 以上の分類は古典的な分類であるが、目撃証言の心理学的研究が実際的な制度との関わりを持つ応用的な研究分野であることを意識させる分類となっていると言える。 2 Loft's、 Greene、 & Doyle(1989)による分類 この分類法は、Loft's, Greene, & Doyle(1989)によって行われた分類方法で、基本的には記憶の「符号化(知覚)」、「貯蔵(保持)」、「検索」の3段階によって目撃証言の正確さに影響する諸要因を分類しようという試みである。Wells(1978)の分類よりも記憶の過程を意識した分類になっている。この分類は記憶の機能的段階による区分であり、わかりやすい。本件で検討する3名の供述人の記憶の問題(影響した要因)もこの区分によって整理すると理解しやすい。本鑑定でもこの区分に従って、問題の分析を進める。では、それぞれの段階に影響する要因とはどのような要因であろうか。 @符号化段階に影響する要因 ここでの要因は「出来事要因」と「目撃者要因」に分類される。 「出来事要因」には、照明条件(暗順応、明順応)、出来事の持続時間、事実のタイプ(速度と距離、色彩知覚)、出来事の凶暴性が含まれている。 「目撃者要因」には、ストレスと恐怖(凶器注目)、慢性のストレス、期待、年齢(子どもの証人、老人の証人)、性、訓練などの要因が含まれる。 A貯蔵段階に影響する要因 ここでは大きくは、「忘却要因」、「事後情報要因」、「記憶のゆがみに影響する要因」が分類されている。 「忘却要因」には「長期保持後の忘却」と「忘却の原因」がさらに分類されている。 「事後情報要因」には「基本的発見」と「記憶の運命」が分類されている。 そして「記憶のゆがみに影響する要因」には「時間間隔」、「事後情報の形成」、「警告」、「現実の記憶と非現実の記憶」が分類されている。 B記憶からの検索段階に影響する要因 ここでは「質問法」、「質問の語法」、「確信度」、「検索の改善」が分類されている。これらの要因は貯蔵した出来事の情報を検索する(再生・再認)のプロセスに影響するものである。この検索段階に影響するほとんどの要因が、Wells(1978)の分類におけるシステム変数に対応しているものである。本件であれば、逮捕後の取調官の様々な取り調べ方法が関係している。 第2章 供述の解明に参照すべき心理学的メカニズム はじめに ここでは本件の目撃者の供述の問題点について、彼らの供述の正確さに影響している問題となる心理学的要因について詳しく説明することとしよう。専門的な事項にも言及せざるを得ないが、心理学的事実が知識としてもっとも強力な科学的方法によって獲得されているという事実を認識する必要があるためである。また、関与した要因がどのように記憶の形成や保持に悪影響を及ぼすのかを理解するためにも、これから示す研究結果の理解が必要不可欠である。解説する項目については以下の通りである。 第1節 出来事の時間的経過の長さの推定について 第2節 スキーマや期待の心理学的効果 第3節 強い情動喚起やストレスのもとでの経験の記憶 第4節 長期の保持の効果 第5節 被害者への反復された事情聴取による誤った記憶の形成 第6節 短時間の目撃 第7節 無意識的転移 第8節 記憶への社会的影響 第1節 出来事の体験の時間的長さの推定について 目撃証言の心理学的研究では、出来事の目撃時間が過大評価されるとの報告がなされてきた。 たとえば、Marshall(1966)は42秒間のフィルムを被験者に見せて、1週間後にそのフィルムがどの程度の長さであったかを報告するように求めたところ、結果は約90秒という長さの報告であった。Backhout(1977)は、大学のキャンパスで暴漢に襲われる場面(演じられたものではあるが)を34秒間のビデオに録画して、それを被験者に提示した。その後、被験者にはこのビデオの内容に関する質問が与えられた。被験者への質問には出来事の持続時間に関する質問も用意されていた。実際に出来事の時間は34秒間であったにもかかわらず、被験者の回答した出来事の観察時間は平均で81秒間であった。Loft's, Schooler, Boone, & Kline(1986)は、被験者に30秒間の銀行強盗現場のビデオを見せた。2日後、被験者にはそのビデオがどれほどの長さであったかの質問がなされた。被験者の回答は平均時間で152秒間であった。正しく報告した被験者および短く報告した被験者は全体の数パーセントに過ぎなかった。 これらの実験結果は、経験された出来事の時間推定が過大評価されることを示しており、目撃者から目撃した事件の時間的長さの報告を求める場合には、その正確さの判断については慎重であるべきことを示している。 第2節 スキーマや期待の心理学的効果 1 スキーマ 人間の知覚能力にはさまざまな制限があるために、外界の情報のほんの一部を処理しているに過ぎない。そのために、人間は知覚された不完全な出来事から結論を形成するという能力を発展させてきた。これはたぶん、時問の経過とともに獲得していった一般的知識(意味記憶に貯蔵された、知識となった記憶情報)に基づいてすでに存在するスキーマ(既知の知識)へと断片的知覚情報を統合することによって行われる(いわゆる概念駆動型の処理によって行われる)。本質的に、目撃者は無意識的に、起きたはずに違いないと仮定することから起こったことを再構成するものである。その結果として、目撃者は(それが起こったと)期待されるものを知覚する頭著な傾向がある。 さまざまの要因がこの期待を構成する。たとえば暖昧図形の知覚に関する研究では、目撃者が同じ対象を見るときの文脈や個人というものが、その同じ対象を異なって見させることを教えている。さらに知覚者が一度瞬昧図形を分類してしまうと−何らかのカテゴリーに分類すると−、彼らはそれの知覚に固執し、知覚の誤りを犯す原因になる。 つまり、対象物を知覚する場合、曖昧な情報や十分な情報が不足するような場合には、その対象を曖昧なままにできず、自身の持つ知識によって補ってしまい、誤った知覚を形成してしまうことが多い。 本件の場合にも、後に検討するとおり、現実には見ていない星野氏をリーダーだから現場にいて、殴打や火炎瓶を投げることを指揮していたと推測してしまう供述人がいたのである。しかし、それは現実ではなく、スキーマの有する知識が推測させるのである。そして星野氏の顔をその行為とともに直接知覚することはなかったにもかかわらず、推測で現場に居たと判断してしまうのである。自分の近くにたまたまいた人物だと思い込み、その人物を実行犯として知覚してしまうのである。 2 個人の要求とバイアス 先行経験と現実世界の知識によって起こる期待に加えて、個人の要求と動機が知覚を歪める原因となる。簡単に言ってしまえば、目撃者は現実に起こったことをありのままに見るのではなく、見たいと思うものを見るのである。つまり、攻撃者の完全な記述をしたいという目撃者の要求や欲望が、目で見たものよりも無意識的想像産物の知覚を促進させると考えられる。 また、個人的バイアスや潜在的偏見も期待を形成し、すべての人間が持っているさまざまなステレオタイプに適合するよう知覚を歪めてしまう。社会心理学の研究によれば、人は、身体的・物理的特徴を性格特性と相関づける傾向がある(Taguri & Petrullo, l958)。そして、知覚者が、知覚対象を自分の好みでないとみなすようになると、知覚の歪みは増加する傾向が知られている(Asthana, l960)。これらの発見は、被害者が攻撃者について自分の知覚を歪めることを意味している。 第3節 強い情動喚起やストレスのもとでの経験の記憶 強い感情状態が認知能力に影響を与えることはよく知られた事実である。ここでは強い恐怖や怒り、驚きや悲しみのような強い情動が記憶にどのような影響を与えるのかを説明する。たとえば、私たちが突然目の前で起こる交通事故を目撃したとしよう。その現場では車が激しくぶつかって、車の中には頭から血を流している人物がいて、こちらに助けを求めている・・・というような惨劇に出会ったとしよう。そして後にその出来事を思い出すような機会が訪れたとして、果たしてそういう出来事の記憶は、ただ車が駐車しているのを目撃するような場合と比較して、記憶は優れるのだろうか。 確かに、私たちは「とても怖かったので、よく覚えているのです」というような表現を使用する。しかしこのような常識は本当なのだろうか。この節ではそのようなテーマを扱った目撃証言の心理学研究を紹介し、被害者の経験したストレスと記憶がどのような関係にあるのかを説明する。 1 具体的事件の研究―アーカイブ(事件関係の記録)を用いた研究 目撃証言に関したアーカイブ研究の数は少ない。しかし、この研究は現実に起こった犯罪や事故の被害者の証言の特徴を私たちに教えてくれる貴重な資料である。以下には、Kuehn(1974)研究を紹介しよう。 Kuehn(1974)は、1967年にシアトルで起こった犯罪事件の標本を用いて、犯罪に遭遇した被害者の証言を検討した。対象は2件の殺人(被害者は供述してから死亡)、22件の強姦、15件の暴行、61件の強盗であった。被害者のほとんどが加害者のほぼ完全な説明を提供できた。そして加害者について識別できた9個の主要な特徴(目の色、体型、髪型など)に関して、報告された平均特徴は7.2個であった。85%以上の被害者が6個以上の特徴を記述できた。ただ報告された特徴には記述されやすいものと、そうでないものがあり、加害者の性別に関しては93%が報告したが、目の色については23%の報告であった。しかしながら、これらの報告が完全であるかは、報告された数によるのであって、決してそれが正確であることを前提としての分類ではないことに注意しなくてはならない。 この報告数による分析では、1)犯罪のタイプ−強盗の被害者は、強姦および暴行の被害者よりも多くの記述を提供する、2)犯罪が行われた時間−黄昏時犯罪で昼や夜の犯罪よりも説明が少ない、3)被害者の傷害−傷害を受けなかった被害者は傷害を受けた被害者よりも記述が多い、4)被害者の性別−男性が女性よりも多くの記述を提供する、5)被害者と容疑者の人種−白人の被害者で黒人もしくは白人の容疑者を含む犯罪は、黒人の容疑者で黒人の被害者の犯罪よりも多く記述される、という結果であった。基本的に正確さについての報告ではないが、記述の量の分析で以上のような結果が得られたことは、情動と記憶の関係を示唆するものとして貴重な資料である。 2 実験室実験によるアプローチー実際に身体的な苦痛を与える条件下での研究 Brigham, Maas, & Martinez(1983)は、情動(恐怖)を喚起させる方法として電気ショックを採用した。この研究では顔写真が提示され、その最初の提示時にのみ電気ショックが与えられる条件とその半数の提示時に必ず電気ショックが与えられる条件が用意された。喚起される情動の生理学的測度である心拍、容積脈波、GSRおよび主観的な情動評価が測定された。結果は男女で異なるものであったが、女性の被験者でのみ主観的な強い情動が報告されたために、この条件のデータの分析が行われた。結果は、半数の写真提示時に電気ショックが与えられる条件で有意に低い正再認率であった(d'=.65 最初にのみ電気ショックを与えられる条件ではd' は1.38:ここでd'とは再認の正確さを示す指標で、この値が大きいほど正しい再認が行われたことを示している。読み方はdプライムと読む。ダッシュではない)。 類似した研究にPeters(1988)の研究がある。この研究の特徴は、病院に予防接種に来た人々に実験を行った点に特徴がある。それは、より現実の状況で覚醒の記憶への影響を検討するためであった。具体的には、被験者は看護婦に注射をしてもらうのであるが、注射の後に、もう一人の人物(研究者)によって注射後の予定についての予約の聴取が行われる。その後他の看護婦に脈を計ってもらい、さらに顕現性不安テストに回答するという流れであった。被験者は、出来事から24時間後もしくは1週間後に記憶テストを受けるが、その時に注射された看護婦および予約の聴取をした人物について想起するように求められ、最後に写真識別が行われた(5枚の写真から)。結果は図1に示したが、看護婦の方が研究者に比較して識別の正確さに劣っていた。さらに言語による人物描写についても同様の結果であった。このことは、注射というストレスによって情動的な覚醒が高まると、平常時の記憶と比較して記憶が損なわれることを示している。 3 スライドやビデオに映された情動的出来事を目撃する研究 実際に人に何らかの身体的苦痛を与えて、そこから喚起される情動経験と記憶の関係を調べるのはなかなか困難であり、身体的苦痛を参加者に与えるという倫理的問題もある。研究者はそのような問題点をクリアするために、情動的出来事の直接的経験ではなく、間接的な経験を利用したり、倫理的に問題ないような形での検討を行うようになった。以下の研究はそういう種類の実験研究である。そのような研究は1970年代後半から1990年代初期にかけて精力的に行われてきた。そこで代表的な研究をいくつか紹介しよう。 Clifford & Scott(1978)の研究 この研究では、ビデオによって撮影された凶暴条件の内容と非凶暴条件の内容がそれぞれの条件に割り当てられた被験者に提示された。基本的なシナリオは、一人の犯人(その人物はビデオに映っていない)を二人の警察官が探すというもので、たまたま第三者の人物の協力によってそれが達成される、というストーリーであった。両条件のビデオの提示時間は1分と数秒であった。非凶暴条件では、第三者の協力が積極的でないために、三人の人物(第三者と二人の警察官)の間で会話がかわされ、二人の警察官の一人による行動の抑止が小さいながらも、頻繁に行われる。これに対して凶暴条件では、積極的でない協力故に、二人の警察官の一人が、その第三者に身体的暴行を加えるに至るという筋書きであった。この二つの筋書きがそれぞれのビデオの中間に配置されていた。 結果は、再生に関しては凶暴条件では非凶暴条件よりも成績の劣ることが認められるが、統計的にもそのことが実証された。しかも、再生における最高点が40であるのに対して、実際の被験者の成績は高い条件でも10.5という水準に留まっていることは注意しなくてはならないだろう。成績の良い非凶暴条件ですら20%の水準に満たない記憶であることは、本件の記憶を考える際に考慮すべきポイントである。同様の研究にClifford & Hollin(1981)の研究がある。 4 情動的出来事が健忘を引き起こすことを示した研究 (1)Loft's & Burns(1982) Loft's & Burns(1982)の研究では、被験者に銀行強盗のフィルムが示された。強盗が銀行員を銃で脅して、現金を奪って逃げる。銀行員は強盗に現金を奪われたと叫ぶと、二人の男性がその強盗を追いかける。駐車場まで来るとそこには二人の少年が遊んでいるのであるが、凶暴条件では、強盗は逃走用の車に向かって走っていくのであるが、振り向きざまに追いかけてきた男性二人に向かって発砲する。すると、そこで遊んでいた二人の少年のうちの一人の顔に弾丸が当たり、その少年は顔に手をあてながら、倒れる。非凶暴条件では、発砲の前までは同じ内容のフィルムであるが、その後は銀行の場面に戻り、マネージャーが従業員の行員と客に状況を説明し、平静を保つように求めている。両条件のフィルムとも後半の部分はほぼ15秒間の長さであった。このフィルムを見た直後に、被験者は25の多肢選択からなる質問紙と穴埋めの質問に回答するように求められ、確信度も評定された。この研究では質問項目の最後の質問が問題にされた。それは駐車場で遊んでいた少年の着ていたフットボール・ジャージの背中の数字であった。数字「17」が背中の数字であったが、凶暴条件ではたった4.3%だけの者が正しく再生できただけであったのに、非凶暴条件では27.9%の者が回答できた。これはいわゆる逆向健忘の現象で、精神的ショックを起こすような出来事によってその前の出来事の情報が忘却されることを示している。この結果は、発砲シーンの部分を警察官が駐車場に到着して会話するバージョンに変えた第3の非凶暴条件を加え、さらに少年の背番号についての記憶テストを再認テストに変化させて検討しても、確認できた。 (2)Kramer, Buckhout, Fox, Widman, & Tusche(1991)の研究 この研究では、情動の記憶への効果を検討するため3つの条件が用意された。それは高ストレス条件、低ストレス条件、統制条件であった。それぞれの条件ごとに19枚のカラースライドが用意されたが、10番目のスライドが重要なスライドで、このスライドの前後には旅行のシーンで、容易に命名可能で単純、しかも情動的に中立的な内容のスライドが用意されていた(たとえば、ボート、城など)。高ストレス条件では、爪のついたハンマーで顔を傷つけられ、死亡した男性写真であり、そのスライドには、「ニューヨーク警察の好意による」と下に文字が書かれていた。低ストレス条件は同じ写真に「MGMスタジオの好意による」と下に書かれてれていた。統制条件では旅の女性がグランドキャニオンを背景に写真のポーズをとっているものであった。 被験者は一定の課題の後に、できる限り多くのスライドについて再生するように求められた。単純再生および再生の正確さの得点化は、実験条件を知らせない判断者によって行われた。逆向再生は重要スライドより前の9枚に関して、順向再生は重要スライドより後の9枚についての結果である。正確さの測度は各々のスライドについての記述の完全さに基づいて10点尺度で計算した。 逆向再生(重要スライドの前に提示されたスライドについて)は、再生されたスライドの平均値が高ストレス条件(NYPDの事例)で4.4、低ストレス条件(MGMの事例)で5.7、統制条件(グランドキャニオンの事例)で5.6であり、結果は逆向再生の減少効果が認められないというものであった。順向再生(重要スライドの後に提示されたスライドについて)の平均値は、高ストレス条件で2.9、低ストレス条件で3.8、統制条件で4.7であった。高ストレス条件と統制条件間で有意差が認められた。 つまり、結果は、情動を喚起するような外傷的刺激を提示されると、その提示後の刺激の記憶が悪くなるという仮説を支持している。結果は、著者らの言葉によれば、Loft's(1979)の「高いストレスが再生の正確さを損なう」という一般的命題を支持するものである、と解釈された。 5 出来事の中心/周辺情報への情動の影響を検討した研究 今まで紹介した研究は、出来事の情動的喚起が記憶にどのように影響するのかについて検討するものであったが、その出来事は様々で、テストされる記憶も様々であった。しかしながらその出来事の多様性にも関わらず、情動の喚起は出来事の記憶の様々な側面に妨害的に働くことが示された。このような個々の結果はもちろん情動と記憶の関係についての知見を与えてはくれるが、出来事のどのような対象に情動の効果が強く現れるのかという問いに系統的に答えているわけではない。しかし、近年ではそのような問いかけに答える研究が行われるようになり、情動の記憶への影響がさらに緻密に検討されるようになってきている。そこで、以下ではそのような研究を見ていくことにしよう。 (1)Kebeck & Lohaus(1986)の研究 この研究は、情動と記憶の関係についてのEasterbrook仮説(1959)と呼ばれる、複雑な課題の遂行時の情動的覚醒が手掛かり利用の減少を招くという考え方を検討したものである。しかしながら、この減少はすべての対象に同等に現れるのではなく、その効果は中心の特徴よりも周辺の特徴により現れることを仮定している。つまり、現象的にいえば、情動が喚起されている場合には、出来事の中心の情報は忘れにくく、周辺の情報は忘れやすいことが予想される。実験では二つのビデオフィルムが用意された(両方とも2分30秒の長さ)。先生と数学の宿題を忘れた生徒との間で口論をするという主要な筋書きで、副次的な筋書きとしてはもう一人のその口論に参加していない生徒が写し出される。 高情動覚醒条件では口論が激しくなっていくが、低情動覚醒条件ではそうならない。この部分は20秒間で、それぞれのフィルムの中間に位置するようになっていた。先生と生徒の2人の間でかわされた言葉が再生テストされた(直後と一週間後)。 実験条件における自由再生の結果を比較する前に、フィルムシーンの筋書きが40の着想の単位に分割された。再生結果がこの40の単位でカテゴリー化された。結果:高情動覚醒条件の記憶遂行(再生の平均値は10.8)は低情動覚醒条件のそれ(再生の平均値は13.4)よりも低かった。さらに中心情報と周辺情報の比較を行うためにデータを再整理して分析したところ、中心情報に関しては、高情動覚醒条件と低情動覚醒条件で同じ遂行の水準にあった。しかしながら、周辺情報に関しては、高情動覚醒条件の記憶遂行は低情動覚醒条件のそれよりも低かった。このことから強い情動喚起は、周辺情報の記憶遂行を悪化させることが示された。 (2)Christianson & Loft's(1987)の研究 この研究は、情動的出来事とそうでない中立的(非情動的)出来事の比較を使用して、周辺/中心情報への情動の影響を系統的に検討した研究である。情動的出来事条件も、非情動的出来事条件も15枚のカラースライドで構成されていた。いずれの条件のスライドも、3つの局面(5枚ずつ)から構成されていた。非情動的出来事のストーリーは次の通り。母親と少年が家を出る。2人は公園を通って、橋を渡り、町中に入る。第2局面は、母親とその少年がタクシーを探し、タクシーで学校に向かい、少年を学校に置いてくる。第3局面では、母親が電話して、家に帰る。情動的出来事条件では、第2局面だけが中立的出来事条件と異なっていた。第2局面では、少年が車に跳ねられ、ボンネットの上で目から血を流している場面、救急車で病院に運ばれ、母親が少年を病院に残して去る場面から構成されていた。 両条件の被験者とも、注意深くスライドを見るように、そしてもっとも特徴的なことを書き留めるように求められた。記憶テスト(再生および再認テストの両方)は20分後もしくは2週間後に行われた。再生テストは被験者がスライドを見た際に書き留めた内容を思い出す課題で、再認テストは4枚のスライドを見て、その中に最初に見た一連のスライドがあるかどうかを判断する課題(四肢強制選択)であった。 特徴的な事象の再生に関しては、中立的出来事条件(50%)よりも情動的出来事条件(77%)で成績が優れていた。再認の結果は、第2局面についてみると、情動的出来事条件(50%)よりも中立的出来事条件(71%)で成績が優れていた。 これらの結果から、情動的出来事では被験者は決定的出来事に注意を向けてその出来事を良く記憶することができるが、そのような注意を向けることには犠牲が必要であるのかもしれない。なぜなら、情動的出来事を見た条件では自分達の見た特定のスライドを中立条件ほど良く再認できなかったからである。つまり、情動的出来事条件では注意の向けられたものは良く記憶されるものの、注意の向けられないものもあり、そのために記憶されずに低い再認成績になって現れたと考えられる。 この研究では中心的出来事を書き留めるという課題が採用されており、中立条件より情動条件で再生成績が優れたのは、そのような観察における付加的情報処理が影響しているかもしれない。そして、そのような実験操作が、周辺への被験者の注意の配分が減少した可能性も否定できないであろう。出来事を目撃しながら目撃内容を書き留める事態は実際の目撃場面では起こりにくいので、その点を考慮して結果を解釈する必要があろう。 (3)Heuer & Reisberg(1990)の研究 この研究はChrustianson & Loft's(1987)の研究を発展的に検討したものである。被験者はテープに録音されたナレーションを伴う一連のスライドを観察した。中立バージョンでは、被験者は、少年と彼の母親が父親の作業場を訪ねる物語を見聞きした。父親は地方の車整備工場の主任修理工である。彼はうまく車を修理して、母親はそこを去るのであるが、自分の職場のボスに仕事に行くのに遅れるという電話を入れる。覚醒バージョンでは、被験者は少年と彼の母親が父親の勤務先(病院)を訪ねる物語を見聞きした。外科医で、足の手術に成功するのであるが、スライドシリーズのちょうど真ん中で、患者の損傷を受けた足と手術の場面が映し出される。その後の物語は中立バージョンと同じ。以上の二つの物語は、構造、スタイル、スライドのレイアウトなど極力マッチするように配慮されていた。記憶化群と問題解決群も用意された。情動的反応を示す生理学的指標を使用した測定も行われた。また、記憶テストとして再生と再認テストが採用された(これは刺激の提示から2週間後に行われた)。再生テストではできる限り多くのことを思い起こすように伝えられた。 再生結果は4人の独立した判断者が、中心、周辺情報のいずれであるのかの判断を行った。なお、判断者の判断基準は、基本的ストーリーに関わる中心的要素や事実で、ストーリーラインを変化せずに変化や排除ができないものを中心と考える。 再生結果を見ると、覚醒群の一貫した優位が示されているが、この差異は全体の再生量もしくは周辺の再生量に対して統計的に有意ではない。しかし、中心情報に関しては覚醒と中立群の間で有意な差が認められた。また記憶群と中立群の間で有意な差が認められた。再認結果は、最良の遂行が覚醒群であり、最悪が中立群、他の2群はその間に落ち着くことを示した。また群とフェーズの要因間の交互作用も有意であった。このHeuer & Reisberg(1990)の研究では再生および再認ともに覚醒群での有意を示した結果となった。ただ、この研究の結果を見る際には、中心情報の定義に関しては曖昧さが入りにくいが、周辺情報に関しては詳細の水準の定義が明確になされていない問題点がある。 (4)Christianson & Loft's(1991)の研究 Christianson & Loft's(1991)の研究は、Christianson & Loft's(1987)の研究の発展型ととらえることができよう。Christianson & Loft's(1991)では、情動条件と中立条件、さらに特異条件が用意された。スライドの内容については、Christianson & Loft's(1987)では第2フェーズにおいて情動条件と中立条件で内容がことなっていたために、その結果として情動の記憶の促進(再生)や抑制(再認)が起こった可能性が否定できない。この問題を解決するために、各条件のスライドの内容は極力同じになるように工夫がなされた。各条件とも日常の生活を示す15枚のスライドが提示されるが、第1スライドから第7スライドまでおよび第9スライドから第15スライドまではすべて同じであった。ただ、第8スライドの内容が各条件で異なっていた。情動条件では女性が傷ついて頭から血を流し、自転車のそばに横たわっている場面、中立条件では女性が自転車に乗って通行している場面、特異条件では女性が自転車を担いで歩いている場面が採用された(いずれのスライドにも自動車が映っていた)。また、この8番目のスライドに偏りが出ないような工夫もなされていた。さらに周辺の情報も最初にスライドを見ても気づかれないように工夫されていた。被験者には注意してスライドを見るように教示が与えられた。スライド提示の直後に喚起された情動の程度についての評価を求めた。 評価課題の後に、15のスライドの手掛かり再生課題が行われたが、8番目のスライドでは女性と周辺の自動車が外されていた。この再生の後に、四肢強制選択再認テストが行われた。ここでの中心情報とは女性のことと定義され、周辺情報は車と定義された。そして、これらの内容が再生できるかどうかがテストされたことになる。結果は図2に示したが、中心情報はどの条件でも同じ水準であった。しかしながら、周辺情報は中立条件で優れていた。再認結果は、再生結果と一致して、情動条件では周辺情報において中立条件よりも劣っているが、中心情報に関しては有意な差が認められなかった(以上実験1)。 実験2では、実験1と手続きはほぼ同様であるが、刺激提示時間を短くし、手掛かり再生の前に妨害課題を挿入し、さらに8番目のスライドのみの手掛かり再生を求めた。被験者には消えた人物のコートの色、消えた車の色を再生するように求めた。その後8番目のスライドの再認テストを行った。中心情報は情動条件で他の2条件よりも良く再生された。周辺情報は、中立条件で他の2条件よりも良く再生された。再認テストの結果は、統計的には有意ではなかったが、情動条件の中心情報および中立条件の周辺情報で比較的良い遂行であった。 (5)Burke, Heuer, & Reisberg(1992)の研究 この研究はHeuer & Reisberg(1990)の研究で得られた、覚醒群の記憶遂行が優れているという結果を支持する研究が他にほとんどないために、その結果の解釈には注意が必要であるという認識によって、更なる検討を必要とするとの考えに基づいて行われたものである。 基本的には、保持期間の問題と周辺/中心情報の問題にアプローチするという目的である。周辺/中心の区分に関しては新しい分類方法が採用されている。実験1と実験2が行われたが、記憶テストは再認テストが採用された。結果は細部に渡って検討されているが、基本的発見は、1)保持期間による差異は認められなかった、2)情動は記憶すべき材料の違いによって異なった効果を持つことが示された(つまり、覚醒条件と中立条件とでは中心/周辺への影響が異なっていることが認められた)。具体的には、情動が中心情報と考えられるような出来事のカテゴリーの情報の記憶を改善することが認められた。しかしながら、情動は、周辺情報と考えられるような、中心情報と結びつかない詳細の記憶を蝕むことが示された。 第4節 長期の保持の効果 絵画刺激は言語刺激に比較して一般的に再認率が高いとされているが、時間の経過にともなう忘却のパターンは類似した傾向を示すことが知られている。Shepard(1967)は600枚を越える絵を被験者に見せた。その後、呈示した刺激と呈示していない刺激で68のペアを作り、再認テストを行った。2時間後の再認率は100%、3日後で93%、1週間後で92%、4カ月後で57%−これはチャンスレベルである(偶然に当たる確率:つまり記憶が形成されていなかった結果を示す)が−であった。またGehling, Toglia, & Kimble(1976)は一般的な対象物(たとえば、魚、葉など)の線画を使用した再認実験を行っている。再認までの遅延時間は10分後から3カ月後まで(1日後、1週間後、1カ月後、1.5カ月後も)用意された。結果は、比較的短い期間に再認率が急激に降下し、その後はゆっくりと忘却が進むことを示した。 では目撃証言の心理学に直接的に関係する顔の識別研究の場合はどのような結果が示されているのであろうか。顔の記憶研究では、他の再認研究と同様の手続きが採用されているが、一般的には被験者に一連の顔写真や顔のスライド(普通は20枚ほど)を呈示して、その後に新しい(以前に呈示していない)写真やスライドをランダムに混ぜて呈示し、それが古い(すでに見た)ものかそうでないかを判断する再認方法が採用される。しかし、顔に関する研究で時間経過を問題としたものはそれほど多くはない。Chance, Goldstein, & McBride(1975)は直後再認と48時間後の再認で再認成績の減少が認められないことを報告している。Shepherd & Ellis(1973)も、一週間後の遅延が直後のテストの成績と比較して劣らないことを報告したが、35日後には、最も魅力があるもしくは最も魅力がないと判断された顔を除いて、再認率が有意に低下することを報告した。Deffenbacher, Carr, & Lue(1981)は、2分後の再認と2週間後の再認成績を比較して、小さな差ではあるが、2週間後で有意な成績の低下を報告した。 このように顔の記憶研究では、前述した時間の経過とともに再認成績が低下するという「常識」、換言するならば、目撃者識別は時間の経過とともに、目撃者の顔の記憶の信用性が落ちることが支持された。ただその場合にも、言語刺激などと比較すると忘却の割合が少なく、検討された保持期間も比較的短いものであった。 では目撃者識別を念頭においた保持期間の影響についてはどうであろうか。目撃者識別の場合には、ステージで演じられた出来事を目撃し、それに関した顔の識別を後に行うことが本問題と関係する。このような文献を探してみると、残念ながら、保持期間を変数にして、しかも方法を同じくする研究は数少ない(たとえば再認方法が人物パレードを使用したり、写真を使用したりで、識別方法が異なっていたりする)。目撃証言研究の場合、一般的には一度に多数の目標人物を見ることはまれで、1人の人物(時には二人)を目撃して、その識別能力を検討している。このような検討に、Eagan, Pittner, & Goldstein (1977)の研究がある。彼らの研究では識別の遅延効果を検討している。武器を持って強盗を行った二人の人物が現れることを前もって被験者に伝えた。二人は15秒間被験者の前に現れた。その後、被験者のグループは2日後、21日後、56日後に写真もしくは実際の人物による識別を行った。被験者には、ターゲットの人数も伝えず、また、選択するべき人数も伝えなかった。結果は、ターゲットでない人物を選択する割合が時間の遅延とともに増加した。つまり、誤ってターゲットを選択した割合は2日後では48%、21日後では62%、56日後では93%と増加していった。また誤らずに正しいターゲットを選択した者は、2日後では45%、21日後では29%、56日後では7%となった。このことから、時間の遅延とともに正しいターゲットを選択する確率が著しく低下することが示された。 Malpass & Devine(1981a,b)も、Eaganら(1977)と同様に時間遅延の識別への影響を検討し、同様の結果を報告している。彼らは講義室で予期せぬ暴力事件を被験者に見せた(1人のターゲット)。3日後および5カ月後、5人のラインナップによる識別を行った結果、3日後では83%の正しい識別が行なわれたものの、5カ月後では36%の正しい識別率であった。さらに誤った識別率も35%となっていた。 以上の研究で認められるように、実際の識別手続きを採用しても時間の経過とともに識別の能力が著しく低下することである。つまり、長期に及ぶ識別は正しく識別される可能性が低下し、誤って識別が行なわれる可能性が高まるという結果であり、特に長期の保持期間をおいた識別は誤って行われる危険性が非常に高いと考えておく必要がある。 後に検討するとおり、特に本件のように、経験した出来事から3ヶ月近くも経過してから被告人を識別したというような場合には、そのような「目撃」供述がいかに危険なものであるか、以上の研究結果から明らかである。 第5節 被害者への反復された事情聴取や共同想起による誤った記憶の形成 1 面接者のフィードバックや他の目撃者からの情報 面接者が「なるほど」とうなづいたり,「他の人もそう言っていました」などと同意すれば、目撃者は「自分の話は間違っていない」という印象をもち、より一生懸命答えようとするだろう。逆に、面接者が「確かにそうでしたか?」と眉をしかめたり、疑うような表情をすれば、目撃者は「自分の意見が受け入れられていない」と感じて、意見を言うのを躊躇したり、消極的になってしまうかもしれない。CeciらはWee Nursery School事件における事情聴取の調書を分析し、以下のような圧力がかけられていることを示している。 ? 仮説に合うことには積極的なフィードバックを与える。 ? 仮説に合わないことは無視する。 ? 協力を強く依頼する(ほめたり,脅かしたりする)。 ? 他者はこう言っていると告げる。 これらの発話や態度が被面接者の態度に影響を及ぼすことが、実験によって確認されている。 例えばZaragoza, Payment, Ackil, Drivdahl, & Beck(2001)は、「そうですね。○○(面接者が言ったこと)は合っていますよ」という確定的なフィードバックと「○○、そうですね」とうい中立的なフィードバックの影響を比較している。この実験では,大学生に映画の一部を見せ,内容について質問を行った。質問には実際に映画にあった項目も、なかった項目も含まれていた。「強制条件」の参加者には、すべての質問に対して答え,答えが分からない場合には作り話でよいので答えるように求めた。また、統制条件では答えられる質問にだけ答えるよう求めた。1週間後に再認テストを行ったところ、強制条件では統制条件に比べ実際にはなかった項目を「見た」とする反応が多く、それは確定的なフィードバックを受けた場合に特に多かった。また、4または6週後の再生では,強制条件の参加者は実際になかった項目を自発的に再生する率が高く、確信度も高かったという。 また、Roper & Shewan(2002)は権威者によるフィードバックの効果を調べた。まず、大学生にビデオを見せ,権威的な面接者による面接を行う。その後、権威的な面接者は参加者に「あなたはよい目撃者だ」または「あなたは悪い(助けにならない、不注意な)目撃者だ」というフィードバックを与えた。その結果、悪い目撃者だとラベルづけされた参加者は、次の面接においては答えを変化させ、誘導質問に従うことが多くなった)。 Shaw, Garven & Wood(1997)は「他者はこう言っている」という情報の影響を調べている。実験者は参加者にO. J. シンプソン事件についての選択式の質問紙を渡し、「他のクラスでも調査をしたのですが、その時に多かった回答を質問の横に書いておきました。参考にしてください」と告げた。「参考情報」には正しい情報も誤った情報も含まれていた。その結果、誤った情報が与えられ、しかも質問紙の質問が誘導質問である場合(つまり、「はい」と答えると誤ってしまうタイプの質問である場合)、参加者の正答率は低くなることが示された。 2.共同想起 一般に、複数の人がコミュニケーションをとりながら情報を想起しようとする活動を共同想起という。目撃事態においても、目撃者が相談しながら出来事を再現しようと努めることがあるだろう。共同想起は記憶を喚起するのだろうか、それとも抑制するのだろうか。実は、両方の効果が報告されている。以下に、ポジティブな効果を示した実験と、ネガティブな効果を示した実験とをひとつ示そう。 高取(1980)は参加者にブレヒトの4連詩(16行)を4分間暗記するよう求めた。その後、参加者は個別に再生を行い、次にペアでコミュニケーションをとりながら共同再生を行う。再生できなかった箇所や誤って再生された箇所をエラーとし、カウントしたところ、平均エラー数は個人再生よりも共同再生で少なかった。共同想起で行われた会話では、以下の例のように、よく思い出せない箇所や確信がもてない箇所を問題箇所としてとらえ、共同で解決しようとする焦点化方略がとられていた(p.31)。 甲:朕が兵の?兵隊の?どっちかだ。 乙:兵隊の。朕だった?私わからない。 甲:ウン、朕だ。皇帝が言うんだから朕だ。 すべてのペアでこのような方略が見られたわけではないが、この他、互いに記憶を補い合ったり、互いの発話がヒントになって情報が想起された可能性もあるのだろう。共同想起の方がよりよく詩が想起された。 これに対し、Finlay, Hitch & Meudell(2000)らは抑制効果を報告している。この実験の参加者は、まず個人か(個人学習条件)またはペアで(共同学習条件)で隠し絵パズルの学習を行った。この隠し絵パズルには動物の絵が40個隠されている。次に、動物を思い出してもらう。参加者は、まず個別に想起し、次に個別(個人想起条件)またはペアで(共同想起条件)再生を行った。最後にもう一度,個別に再生を行った。その結果、共同学習条件では,共同想起による抑制効果は見られなかったが、個別学習条件では、共同想起による抑制効果が見られた。つまり、隠し絵パズルを個別に学習した場合、共同で想起しようとすると再生数は下がったのである(先の高取の実験では、学習材料が詩であったために、参加者は一行目から順に学習していったと思われる。また、学習困難な節や句も両者間である程度一致していたかもしれない。これに対し、フィンレイらの実験では材料が隠し絵パズルであったために、参加者は独自の仕方で項目をチャンク化あるいは体制化した可能性がある。そのため、共同想起を求められても互いの検索方略を適合させたり、焦点化されたコミュニケーションをとることが難しかったのではないかと考えられる。実際、フィンレイらは後の実験において、ペアとなる参加者の学習順序を統制し、二人が同じ順序で学習するように求めている。その結果、共同想起による抑制効果は比較的小さくなった。これらの実験は、想起する者同士が類似した記憶構造をもっており、類似した検索方略をもっている場合に共同想起の効果があることを示唆している。 ところで、同じ現場であっても、目撃する場所や目撃者の特性・状態により、作られた記憶表象が異なる場合があるだろう。例えば、太陽を背にして目撃した人にとっては白だが、逆光で目撃した人にとっては黒ということもあるかもしれない。このように、目撃者同士が異なる記憶をもっている場合、共同想起を行うとどのようなことが生じるのだろうか。兼松・守・守(1996)は、2体のビデオプロジェクタを用いて互いに直行する偏光映像を同一スクリーンに投影する方法を開発した。この方法を用いれば、二人の参加者に同じ画面を見ていると錯覚させつつ異なる画像を見せることができる。まず、架空の犯罪場面を撮影したビデオを参加者のペアに提示する。ビデオに出てくる項目はほとんど同じだが、車の色、男性の服、女性が歩く方向の3点だけが異なっていた(これらをチェック項目とする)。その後、参加者は、個別再生の後、ペアによる話し合いを求め、再び個別再生を行った。統制条件の参加者は3度個別再生を行った。その結果、共通項目については、共同再生の方が個別再生よりも成績がよかったが、チェック項目についてはどちらかが一方の意見に同調してしまうことが多かった。特に、ペアで話し合った後「共通見解」を作るよう求められた条件では、そうでない条件に比べ同調率(つまり,片方が誤った解答をしてしまう率)が2倍であったという。 以上の、面接者からのフィードバックや共同想起に関して、もちろん本件におけるそのような要因の関与が証拠上明確になっているわけではない。しかしながら、複数(それも相当数)の調書が作成され、しかも実況見分が行われという事態を考えれば、面接者からのフィードバックや共同想起が頻繁に行われた事は否定できないであろう。そのような状況では、現実の出来事とは異なった内容の記憶が作られて行ったことは創造に難くない。 第6節 短時間の目撃 脳の情報処理の限界によって生ずる知覚的不正確さに加えて、多くの識別の誤りは、観察が行われた環境の影響を受ける。知覚に影響する主たる要因の一つは観察時間の長さである。一般的に目撃証言のみが主たる証拠であるような事件においては、目撃時間が短く、しかも出来事の時間が短いために、被害者や目撃者はその出来事や犯人の特徴を視覚的に処理するほど十分な時間的余裕がないことが多い。この観察時間が短いために、目撃に続く人物の識別で信頼に足る結果が得られないことが多い。犯罪が突然に起こりしかも目撃時問が極めて短い場合には、目撃者は出来事の重要な知覚的特徴に注意の焦点を合わすことができないこともしばしばある。さらに不安と知覚との関係も指摘されている。 事件に遭遇したり、不幸にも被害者になるなどの場合、これは日常的な出来事ではなく、予想もしなく突発的で、不快な出来事である。このような出来事は、まさに緊急事態であり、こうした事態で人間はどのような行動をとるのであろうか。 一般に、緊急事態に遭遇すると、目の前で起きている事件といったストレスを増加させる外的な状況に加えて、「ドキドキ」「ハラハラ」と表現されるような、心拍数の増加、血流速度の増加、血液内血糖値の増加など、生理状態が急激に変化する。このような生理的変化は、攻撃や逃走などの準備状態なのである。 緊急場面はまさに情動性が高まる出来事である。このような場面では、一般に視野が狭くなったり、視野が固定化されることが知られている。まさに「眼が釘付けになる」のである。視野が狭くなったり固定化されることによって、判断や行動に利用できる情報が限られてしまうことになる。したがって、「しっかりと見ていた」わけではなく、特定のものしか見られなくなるのである。 さらに、先に述べたように、自らの内的な状態の変化も同時に起きている。この内的な異常な状態も情報として処理しなくてはならない。しかし、人間の注意の資源や情報処理の容量には限界があり、しかも緊急場面では時間的ゆとりはなく切迫しているから、情報の処理にも限界がある。このような場合、一般的に、外的な事態そのものの認知ではなく、自分の内的な状態を変化させて興奮状態を低減させる行動を選択する。そのために最良の行動は、とりあえず緊急事態から逃避することである。逃避することになった原因を認知する以前に、逃避行動が起こるのである。したがって、どうして逃げてきたのかについて(外的な事件の状況)判断や認知は、とりあえず身の安全が確保された後に起きてくる。「後から事件のことを思ってぞっとしました。」ということになる。 ここで大事なことは、事件の目撃といった非日常的な出来事に遭遇したとき、普段の情報処理の仕方とはかなり異なった判断や行動をとることである。それは、事態の合理的な判断や認知ではなく、自らの内的な状態を変化させ、通常の状態に戻すような行動を選択するのであり、このような場合、目撃者は事件の状況、犯人像などについて正確に認知することはかなり難しいものなのである。 第7節 無意識的転移 「無意識的転移」とは、実際に目撃した人物ではない、別の機会に出会った人物を当該の人物として識別する事実のことである。このことはLoft's & Ketcham(1991)の「目撃証言の」第8章「険しく、凍てつくような恐怖」に、実際の事件に認められた事実として紹介されている。 この事件では、自宅で何時間もの間、娘とともに性的暴行を受けた婦人(サリー)が、友人の男性から幾度となく、犯人が見たことのある人物だとの説明を受ける。事件が起きてからしばらく経過して、突如その犯人という人物を思い出すが、それがなんと職場の同僚の旦那であった。被害者は一度、パーティーでその男性(同僚の旦那)に会っているだけであった。その男性はサリーの目撃識別によって逮捕された。しかし、その後、事件が起こったのとは別の州で逮捕された性的暴行の常習犯が逮捕され、起こした数多くの事件を供述した。その供述の中にサリーの事件と全く同じ状況の事件が含まれていた。そして、その犯人が撮影されているビデオをサリーも見ることになるのだが、彼女の娘(娘も暴行の被害者)は、すぐにその人物を犯人と理解したが、サリーはあまりにも強く自分の識別した人物を犯人と思いこんでいたために、真犯人を犯人であると認められなかったという、実在の事件である。これなどは、無意識的転移がもっとも典型的に現れた事件である。 この他にも、アメリカ合衆国では類似の事件で無意識的転移によって誤って人物識別が行われたケースが報告されている(Ross, Ceci, Dunnning, & Toglia, 1994)。1983年、レネル・ゲーター神父が自身の犯した事のない罪によって一連の武装した強盗の犯人としての判決を受けた。18ヶ月間を刑務所で過ごした時点で、他の人物の犯行であることが明らかになり、神父は釈放された。この事件の誤りに関して分析を行うと、検察側の目撃者が悲劇的な誤りを犯したことがわかった。経過はこうであった。つまり、事件直後、事件に遭遇した目撃者に写真帳を見せた。しかしながら、目撃者はその写真帳には犯人はいないと言った。数ヶ月後、同じ目撃者に再び写真帳が見せられた。この写真帳には5枚の写真が含まれていたが、その内訳は4枚の前の写真帳には含まれていなかった4人の人物と、前の写真帳に含まれていた一人の人物の写真が入っていた。目撃者はその古い、見慣れた一枚を選択した。その選ばれた人物がレネル・ゲーターであった。目撃者はもちろん,数ヶ月前に見た写真帳を憶えている訳ではなかった。しかし、その目撃者は既知性故に(一度見ていて無意識的に熟知性が増していた)ゲーターを選んでしまったのである。そして識別を誤ってしまった。 このような事件に無関係な、一度見た人物を、事件に関与した人物(犯人)として、その後の写真帳やラインナップから誤って選んでしまう、無意識的転移についての実験的研究も行われている。その数は必ずしも多くはないが、Ross, Ceci, Dunnning, & Toglia(1994)は5つの実験をとおして、この現象が実験室でも起こりえる事を示している。 第8節 記憶への社会的影響 最近の記憶研究や目撃証言の研究で脚光を浴び始めたものに、記憶への社会的影響研究がある。この社会的影響とは、当該の出来事を経験した人物の記憶が第3者からの情報により、強い影響を受け、本人が知らぬ間にその第3者からの情報をあたかも自分が経験した出来事の記憶であるかのように想起する現象である。 これらの研究には、家庭内の部屋(寝室、浴室、台所、クローゼットなど)のシーンをスライドで被験者に提示して、その後、それらのシーンに含まれる対象物(浴室であれば、シャンプーや石けん、タオルなど)を被験者とサクラが交互に想起するという方法を採用するものがある(Roediger, Meade, & Bergman, 2001;Meade & Roediger, 2002)。二人は一緒になって交互にシーンにあった対象物を想起するのであるが、サクラは実験目的を最初から知っていて、特定の想起の順番では、そのシーンにありそうで実際にはスライドに映っていなかった対象を報告した。その後、二人は分かれて別々に、もう一度シーンに映っていた対象を想起した。結果は、サクラによって誤って報告された項目を、被験者は実在するものとして報告するという結果が得られた(とくにそのシーンにありそうな項目に関しては、統制群に比較して4倍も多く実在しなかった項目を報告した)。この結果から、第3者からの誤った情報がいとも簡単に目撃者の記憶へと侵入することがわかる。 このような記憶への第3者の情報の移入をRoediger たちは記憶の“社会的汚染”と呼んだ。この社会的汚染は社会的影響の一つであるが、この社会的汚染の現象は、対象物が日常事物でも(Hoffman, Granhag, Kwong See, & Loft's, 2001)、物語の記憶(Betz, Skowronski, & Ostrom,1996)、単語の記憶(Schneider & Watkins,1996)でも観察されている。 以上の事実は、他者(捜査側)からの情報がいとも簡単に私たちの記憶へと侵入し、あたかもそれが現実の記憶であるとの信念を容易に持ちうることを教えているのである。 第3章 鑑定書(その1)のまとめ 本鑑定書(その1)では、まず、供述の正確性・信用性を検討するにあたって、参照すべき記憶の心理学や目撃証言の心理学が明らかにしている科学的知見についてまとめた。 供述の正確性・信用性を検討するに当たっては、司法で蓄積されてきた知見だけではなく、目撃証言の心理学の発展により得られた知見をもって検討することが必要である。記憶と証言は人間の営みであって、記憶と証言のメカニズムについて心理学が発展し、科学的知見を蓄積してきたのである。 これらの科学的知見に基づき、本件確定判決が引用した各供述調書を分析した結果は、鑑定書(その2)で明らかにする。 以上 目撃証言の心理学を理解する上での参考文献リスト 厳島行雄 1992 目撃証言の心理学的考察I −自民党本部放火事件におけるY証言の信用性をめぐって:内容分析の試み− 日本大学人文科学研究所研究紀要,44, 93-127. 厳島行雄 1993 目撃証言の心理学的考察II −自民党本部放火事件におけるY証言の信用性をめぐって:フィールド実験からのアプローチ− 日本大学人文科学研究所研究紀要,45, 251-287. 厳島行雄 (2000)目撃者の証言 太田信夫・多鹿秀継(編)記憶心理学の最前線.北大路書房 厳島行雄(1996) 誤情報効果研究の展望:Loft's paradigm以降の発展.認知科学,3, 5-18. 厳島行雄・仲真紀子・原聰(2003)目撃証言の心理学 北大路書房 池田光男(1982) パターン認識と有効視野 鳥居修晃編 現代基礎心理学3 知覚II 渡辺保夫 (l992) 無罪の発見:証拠の分析と判断基準 勁草書房 渡部保夫(2001)目撃証言の研究:法と心理学の架け橋を求めて 厳島行雄・仲真紀子・一瀬敬一郎・浜田寿美男(編)北大路書房 Loft's, E.F. 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(別紙) 鑑定資料(供述調書分) (供述人唐澤勤に関して) 1972(昭和47)年2月2日付警察官調書 同年2月 4付検察官調書 同年2月 9日付検察官調書 同年2月13日付警察官調書 同年2月14日付検察官調書 同年2月16日付検察官調書 同年2月16日付警察官調書 同年2月18日付検察官調書 同年2月18日付警察官調書 同年2月21日付警察官調書 同年2月25日付検察官調書 同年2月28日付警察官調書 同年3月 1日付陳述書 同年3月 6日付実況見分調書 同年3月25日付警察官調書 同年3月27日付検察官調書 同年3月28日付警察官調書 同年4月26日付検察官調書 (供述人青山達弘に関して) 同年2月 4日付検察官調書 同年2月12日付警察官調書 同年2月16日検察官調書 同年2月25日付検察官調書 (供述人荒木保久に関して) 同年3月31日付警察官調書 同年4月 5日付検察官調書 同年4月 6日付警察官調書 同年4月 7日付検察官調書 同年4月 9日付警察官調書 同年4月12日付検察官調書 同年4月14日付警察官調書 同年6月 8日付検察官調書 以上 |