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陳  述  書
     東京高等裁判所第12刑事部 御中
        星  野  文  昭 徳島刑務所在監

 私は、一貫して真実のみを主張してきました。
 私は、殴っていないし、火炎びん投てき命令もしていません。

 私は、このことを、今は亡き父母、義父の前でも、闘病中の義母の前でも、一緒に生きることを選択し共に生きている妻、暁子、他の誰の前でも、百パーセント、心の後めたさ、かげりもなく言うことができます。
 私は殴っていないし、火炎びん投てき命令もしていません。
 私は、神山交番前の機動隊の阻止線を突破して以降、リーダーとしてデモ集団の先頭まで行って、バラバラになった集団を一旦まとめるために、ひたすら前に走った。道路の左側に機動隊員一人が捕まっているのを左横に見ながらそのまま前に走り、その先に誰も居ない所で、そこを先頭に一旦集団をまとめるために止まった。そこが十字路だった。

 どこから機動隊が規制、襲撃してくるかわからない状況のなかで、それらから集団を守りつつ、私を先頭にバラバラの集団を再結集させ、一刻も早く、そこを出発して渋谷に向かうことが、リーダーとしての私の役割だった。そのことのみに全神経を集中し、再結集したところで、直ちにそこを出発した。
 十字路に到達直後、NHK方向にはまだ機動隊が現れていず、そのNHK方向の道路全体が見通せ、途中から一旦下がり、再び上がりつつ右に曲がっている、その道路、右に曲がっている道路上を右から左に車が流れていてフロントが光っているという印象的な光景を見ることができた直後、NHK方向数十メートル先に機動隊が左側から路上に出てきて隊列を整え、いつ我々の方へ規制に向かってくるかわからない極めて緊迫した状況になり、その機動隊の動きから目を離せない状況に入った。
 そのなかで、時々再結集の状態を確認するために代々木八幡方向に目を向け、ほぼ再結集したことを確認できた時、再出発を決断し、出発しました。

 その際に、たまたまデモ隊とデモ隊の間に機動隊員が見えた際、「武装解除」させ、私たちにとっての安全を確保するために、「銃を取れ」の声をかけました。
 私がその場で声をかけたのは、その声と再出発する際の「行くぞ」のみです。
 私は十字路上に終始いて、そこを離れなかったし、私の役割からもそこを離れることができず、殴打に加わっていず、殴っていない。
 「銃を取れ」と声をかけて以降、再結集したデモ隊が密集してきて倒れた機動隊の姿も見えず、どのような状況になっているのかもわからず、何かを指示できるような状況になく、その機動隊に対する指示はせず、「火炎びんを投げろ」の指示、声をかけていない。
 私は殴っていないし、火炎びんの投てきの指示、声もかけていません。
 私が殴っていた、火炎びん投てき命令をしたという供述は事実、真実に全く反した虚偽です。

 公判廷で、その供述した当人が、殴っているのを見ても、火炎びん投てき命令を聞いてもいないという証言は、完全に事実、真実に合致したものです。
 私は殴っていないのだから、殴っていたことを誰も見ることはできないし、火炎びん投てき命令をしていないのだから、誰もそれを聞くことができないのです。
 証拠上からも、公判廷で「きつね色」を目の前の机の色を指して、指し示したように、Krの直接見た原記憶は、「きつね色上下の人物が殴っていた」というものです。それは、薄青であったことが確定している服を当日着ていた私とは、全くの別人物です。

 後姿で人の特定はできません。特に当日の、冷静に人を見分けるのが不可能な極度の緊迫と混乱の中で後姿で人を特定することはできません。私もその場で、一人も特定できた人物はいません。
 また当日、20〜30人ものリーダーの声が乱れ飛んでいるなかで、話声ではなく叫び声では人の特定はできません。私も、当日、その場で一人として声で特定できた人物はいませんでした。
 これは火炎びん投てき命令についても同様で、当日の状況の下で、人物を特定することはできません。
 一郎丸写真は、Kr供述通り、激しく殴っていたというならば、当然残る、鉄パイプに巻かれた紙に、破れ、傷といった痕跡が無く、長い間走りながら握っていたことで、巻いた紙が緩んでいる浮いた部分も敗れなどの痕跡が全く無く、それらは、殴っていない私の実感に則した、矛盾しない納得できるものです。
いつ、どこから機動隊の新たな規制、襲撃があるかもしれないという状況下、阻止線をうち破り、一人の機動隊員が捕まりつつも、一刻も早く再結集して渋谷に向かわなければならないという極度に緊迫し大混乱しているなかで、人は決して人を認識したり、どんな行動をしていたかを認識すること自体が困難で、実際に私がその場で認識できたのは誰もいません。
 闘争経験のある私でさえそうであるわけだから、初参加に等しい供述者たちが、私以上に詳細な認識が困難だったと断言できるし、2〜3か月も経て、供述にあるような記憶も現実性がなく、供述のような内容は、彼らが公判で証言した通り、強制・誘導によって、見てもいないこと、聞いてもいなかったことを供述したということが最も合理的で納得できます。
 
 私は殴っていないし、火炎びん投てき命令もしていません。再審が開かれ、無罪・釈放が決定されるべきです。私の無実を承知しながら、冤罪による無期を強い、37年間投獄を強いる支配階級がつくりだしている今の社会は何なのか。
 核兵器の核物質を製造するための原発を、平和利用と偽り、軍事と金儲けのために推進してきた結果が、福島第一原発事故を起こし、広島型原発100数十発分の放射能を撒き散らし、福島はじめ広範な人々の生業、生活、生命を根こそぎ奪っています。
 その原発も含め、命より金儲けの新自由主義によって、1%のために99%を犠牲にする、1%のために、労働者を自由に解雇する、年収百万円にも満たない非正規にする、サービス残業のような、健康、生命を奪う協労働を強いる、大増税を強い、社会保障を解体する、そうして無権利と貧困と飢餓を全世界の労働者人民に強いています。

 資本とその権力は、利子、配当を含め利潤を何ものにも優先し、労働者人民の人間的な生活も、人間社会そのものを破壊する、これが今の社会の姿だ。
 これに怒り、人間らしく生きることを求め、官邸、国会、霞ヶ関、全国で数万、数十万の労働者人民が立ち上がり、アラブの春、アメリカ・オキュパイ運動、ギリシャ・EUのゼネストなど全世界の労働者人民が立ちあがっています。
 生産、社会を成り立たせている労働者人民が団結して闘えばこの社会を変えられる、労働者人民の団結した闘う力で、原発のない、失業、貧困、飢餓、戦争のない、誰もが、それぞれ持って生まれたものを解き放ち人間らしく生きられる社会を実現できる。資本・権力から全てを奪い返して、人間本来の社会を取り戻すことができる。そこに向かって、大きな歴史的転換を自らの手で、団結した力で勝ちとりつつあります。
 私たちは、このような1%のために99%に恐慌や大失業、貧困、飢餓を強い、二度の世界戦争を繰り返して、さらにそれを繰り返そうとする、沖縄72年返還による沖縄基地強化−日米安保=軍事同盟強化−新たなアジア侵略・戦争、日本とアジア・世界での一層の搾取と収奪、支配と虐殺の道を阻止するために立ちあがりました。
 それが71年11月14日に私たちが立ちあがった闘いでした。

 「闘っても勝てない」「労働者には世の中を変える力がない」といった労働者人民を抑圧し、闘いを歪曲する制動、クビキから自らを解き放って、沖縄基地をなくし、二度と戦争を繰り返さない、人間が人間らしく生きられる社会を、と自らの人間的な魂、労働者の自己解放的力を解き放って、歴史を動かす力をもって、青年労働者、学生を先頭に、ほうはいと立ちあがり、歴史上に登場しました。
 この歴史的な闘いを抑え、圧殺して、資本・権力の自己の利益と延命を、一層の搾取と収奪、支配と虐殺の体制を守るために、私への無実を百も承知の無期を強いてきました。
 しかし今、その体制を守ろうとしたものたちは、大恐慌と大失業と、戦争によって、命より金儲けの新自由主義によって、全世界の労働者人民を苦しめています。
 1%の資本・富裕層の救済のために、大増税、大量首切り、非正規などによって、人間的生活を根本から奪い、人間社会そのものをまともに成り立たすことができなくなっています。

 そのことへ今、全社会、全世界で労働者人民が、労働者人民自身の団結した力でこの世の中を変え、人間が人間らしく生きられる人間本来の社会を実現するために歴史的な闘いに立ちあがっている。
 この力こそが、資本とその権力、体制側の、無実なのに無期、38年投獄といった絶対的な不正義、権力犯罪を絶対に許しません。
 冤罪、無実なのに無期などということがまかり通るならば、人間社会は、その未来を閉ざす。この時代の労働者人民自身の団結した真の人間的未来を開く力がこれを許さず未来を開きます。
 無実の者が、強制、誘導によってつくられた虚偽の供述のみを根拠に、その虚偽が当人の公判証言によって明らかになり、殴打者と私の服の色が違い、一郎丸写真によって、私が手に持っていた棒の紙に殴打の痕跡がなく、声の特定が困難等々が明らかになっているにもかかわらず、いまだに無期が強いられ、38年間投獄が強いられていることは、人道的にも、法的にも、いかなる意味でも許されず、直ちに再審を開始し、無罪と釈放が決定されるべきです。
 それによってこそ、人間の人間的未来が保障されます。