星野訪米記事
          サンフランシスコで絵画展と集会
     日米労働者の連帯で星野さんを取り戻そう
       
 7月13日から20日の間、サンフランシスコで開かれた「レイバー・フェスト」(労働運動祭)に、動労千葉と共に参加してきました。星野文昭さんの闘いを、世界の労働者に広めたいと思っていた私たちの願いがついに実現したのです。
 私たちは、予想を超える大きな感動を得ることができました。サンフランシスコは、労働者・労働組合の街です。そこで絵画展と集会を開催し、星野さんの闘いを訴えると、労働者は皆、権力への怒りをストレートに表明し、「必ずとりもどそう」と涙を流し、肩をだき、心の底から共感し、激励してくれました。
 動労千葉が築いてきた国際連帯闘争の地平と、6月星野全国総会の到達点があってこそのすばらしい成功です。
 今こそ、星野さんを「あと2〜3年でとりもどす」ために、11月6日の労働者集会と11月27日の星野全国集会の大成功にむかって驀進しましょう。
 
行動初日、ピケットラインを共に闘う
 
 7月13日9時半、サンフランシスコに到着しました。参加したのは、星野暁子さん、狩野満男さん(共同代表−杉並)、仙田哲也さん(徳島)、大畠信子さん(三多摩)、事務局の金山克巳、そして通訳を務めていただいた瀬戸正さん、米田邦男さんの7人です。15日には、動労千葉の佐藤正和さんと山本弘行さんが合流しました。
 到着した日の夕方、ホテル・フランク前のピケット・ラインに合流して、共に闘いました。ホテル労働者たちは、労働協約の一方的破棄と解雇による組合破壊に対して闘っているのです。労働者たちは、星野訪米団のピケ参加を大歓迎しました。そして、暁子さんから星野さんの闘いを聞いて感動し、15日の集会に参加すると約束しました。
  
絵画展と集会が大成功
 
 15日は、絵画展と集会です。
 「正義のための闘い−星野アートショー」が始まると、とぎれることなく観客が入って来ました。昨年11月に強く訪米を勧めてくれたアラン・サブロー・ホーリーさんや労働組合関係者も次々と集まって来ます。
 16時からはレセプションです。その中で、暁子さんが一枚々々、文昭さんの絵を説明しました。文昭さんがどのような思いで絵を描いているかが、ていねいに語られました。
 19時から、「労働組合と政治犯−ホシノからムミアへ」集会が始まりました。ジャック・ヘイマンさんなどのILWU(国際港湾倉庫労組)や、サブローさんなどのATU1555支部(サンフランシスコ湾岸諸都市の都市交通労組)の労働者、さらにホテル労働者、教育労働者、ムミア解放闘争の活動家など80人が集まりました。
 集会の司会は、ゼルツァーさん。星野訪米団と動労千葉訪米団が自己紹介をした後、英語版の星野DVDが上映されました。参加者はくいいるように画面を見つめ、星野さんの闘いに心の底から感動していました。
  暁子さんが発言に立ち、文昭さんの闘い、文昭さんとの出会いと結婚、3・11情勢下での運動の前進等を提起し、自作の「僕の広島」の詩を英語で朗読しました。
  ジャック・ヘイマンさんが、ムミア・アブ−ジャマルの解放を訴えました。さらに、ホテルのピケットで出会った労働者等が、労働者階級の闘いの前進とすべての政治犯の解放を呼びかけました。質疑応答の時間は次々に手があがり、「サンフランシスコの他の地区でも絵画展をやろう」「サンフランシスコに支部はないのか」という意見が出されました。
 最後は、全員が輪になってインターナショナルを「それぞれの言葉」で大合唱し、熱気に満ちた一日を終わりました。
  
ケビン・クーパーさんと面会
 
 16日は、キャロル・セリグマンさんと一緒にサンクエンティン刑務所に行き、ケビン・クーパーさんと面会しました。ケビンさんは、サンフランシスコ湾岸の労働者たちから全面的な支援を受けている無実の黒人死刑囚で、25年間、獄中で闘っています。
 受付を通ると自動販売機がありました。そこでサンドイッチや果物、飲み物を買って、面会室に入りました。面会室は2m×3m位の金網の部屋で、何の仕切りもありません。看守は全体を見ているだけて、会話の記録など取りません。ケビンさんと固く握手して、面会は始まりました。私たちに許可された面会時間は5時間(!)です。
 フクシマ原発、それぞれの裁判、労働者階級の闘い等、話題は尽きません。ケビンさんは「レイシズム(人種差別)よりクラス(階級)だ。すべてを持っている連中は、貧しい黒人と貧しい白人を対立させる方法も持っている。私も逮捕される前までそうだったが、互いに対立してはいけない。黒人、白人、ヒスパニック、さらにアジア人が連帯しよう」と力強く語りました。ケビンさんは、8・6ヒロシマにメッセージを送ると約束しました。
 
「フクシマ・原発と労働者」集会
 
  夜は、1934年ゼネストの司令部になった歴史ある建物で、「フクシマ・原発と労働者」集会です。その前に、集会に参加するシンディー・シーハンさんと会食し、交流しました。
 動労千葉が持ってきた大震災と原発事故を伝えるDVDの上映の後、ゼルツァーさんが核と原発の廃絶を強く訴えました。続いて、シーハンさんが、8月にヒロシマ、オキナワ、トウキョウを訪れることを報告し、8・6ヒロシマの意義を高らかに訴えました。動労千葉と星野訪米団が紹介され、佐藤さんと暁子さんが発言しました。暁子さんは、「文昭は、核と戦争、米軍基地に反対して闘った」と語り、星野さん解放をアメリカの闘う労働者に強く訴えました。
 
ジェロニモ追悼集会
 
 17日、ブラック・パンサーの前党首で、黒人解放運動の代表的な指導者であったジェロニモ・ジ・ジャガさんの追悼集会に参加しました。
 サブローさんが仕事を休み、全面的にサポートしてくれたおかげで名だたる闘う労働者と交流を深めることが出来たと思います。
 
サンフランシスコ湾クルーズ
 
 夜は、舟を借り切ってのクルーズです。
 サンフランシスコとオークランドを結ぶベイブリッジを見ながら、この工事で殺された労働者が一人ひとり紹介されました。政府や資本家が数としてしか見ない労働者の死を、労働組合の闘いの重要性を浮き彫りにして説明するものでした。
 暁子さんが、参加者に星野闘争を説明する機会が与えられました。
 
ILWUローカル10訪問
 
  18日、最後の行動は、ILWUローカル10訪問です。
 午前6時半、ハイアリングホールに行くと、組合員にその日の仕事を割り振っている最中でした。労働者の活気があふれる場内に、アナウンスで「動労千葉の仲間が来ている」と紹介され、拍手と歓声が起きました。
  一週間、星野闘争がミムア闘争と結合し、労働運動の課題として日米一体で取り組む事が確認された歴史的な訪米となりました。

  大畠信子さんの短歌
 夕映えのゴールデンゲートブリッジを 必ず見せん文昭さんに
 星野さん奪還のため議論わく サンフランシスコ絵画展にて