闘う労働組合運動の力で、無実の星野さんを取り戻す決議
一九七一年一一月、戦争を心から憎み、「沖縄返還」の名の下に再び沖縄が基地の島にされることに怒り、日本労働者階級の最先頭で闘ったが故に、国家権力の報復弾圧を受けて無期懲役とされた星野文昭さんの徳島刑務所での不屈の獄中闘争が三六年を迎えました。
星野さんが闘った七〇年安保・沖縄闘争は、沖縄を侵略戦争の基地として永久に固定化しようとする日米政府に対して、本土―沖縄の労働者人民が、アジアと世界の労働者人民と連帯し、戦争を阻止し、資本主義の搾取と抑圧をうち破る歴史的な闘いとして闘われました。とりわけ七一年一一・一四渋谷闘争は、一一・一〇全島ゼネストをはじめとする沖縄の島ぐるみの闘いと連帯し、青年労働者と学生が国家権力の集会・デモ禁止の攻撃をうち破って、首都東京・渋谷一帯を労働者の解放区とする画期的な闘いでした。
こうした労働者大衆の闘いに恐怖した国家権力は、この闘いを圧殺しようと、闘いの先頭に立った星野さんに弾圧の矛先を向け、機動隊死亡の「殺人犯」にデッチ上げて全国に指名手配し、七五年に不当逮捕したのです。そして、国鉄分割・民営化攻撃の最中八五年に東京高裁で無期懲役判決、八七年に最高裁で上告が棄却され、二〇〇八年に特別抗告棄却が強行されています。星野さんの存在と闘いは、日本労働者階級とりわけ国鉄労働者の闘いと連動しているのです。
星野さんは完全に無実です。星野さんを有罪とする証拠は何一つない。星野さんの「有罪」を確定させた供述(「きつね色の服を着た人が殴っていた」→「きつね色の服を着た人は星野さんしかいなかった」→「だから、殴っていたのは星野さんだ」とする供述)は、今や警察が隠し持っていた当日のメモや報道写真などから、星野さんの当日の服が薄青色であったことが明らかとなり、星野さんの無実を百パーセント証明するものとなっています。
警察や検察権力が、数多くの証拠をねつ造したり、改ざんすることで、自らの権威と支配を維持し、多くの無実の人々を陥れてきたことが、今や白日の下にさらされているのです。国家権力(検察)は、星野さんが無実であることを百も承知で「犯人」にデッチ上げています。その事実が明らかにされることを恐れ、今や弁護士だけでなく、獄外の星野として星野闘争を闘い抜いている妻である星野暁子さんとの面会すら妨害するに至っているのです。ここに、敵の動揺と焦りが明確に現れています。ここに現れているのは労働者階級の正義の闘いに対する恐怖なのです。
このような中で星野さんは、「権力の狙いは、その重圧の前に屈服し自らを腐らせることを期待したのでしょうが、労働者人民として、人間として絶対に譲れないものがあり、それを大切にして闘ってきたこの三六年の闘いであった」と述べています。そして、「人が他人を搾取し抑圧する資本主義そのものを、分断を乗り越えた労働者の団結した力で終わらせ、誰もが助け合い人間らしく生きられる人間本来の姿を取り戻し、未来を開いていこう」と獄中から呼びかけています。星野さんの獄中三六年の闘いは、普天間基地をはじめとした基地撤去を非妥協で闘う沖縄の人々、そして、JR資本と二四年間非妥協で闘い抜いているわれわれ動労水戸の闘いの勝利と一体です。
世界恐慌が深まる中、「このままでは生きていけない」という声が全世界に充満し、社会変革を求める労働者人民の決起が世界中で巻き起こっています。今こそ、再審闘争の高揚を労働者と労働組合の重要課題として、星野さんを取り戻す闘いを決定的に強化しよう!無実の星野さんを直ちに釈放せよ!最高裁は再審で無罪を出せ!の声を満ちあふれさせよう。
動労水戸は、国鉄決戦の勝利と一体で星野さんを取り戻す決意である。
右、決議する。
二〇一〇年一二月一八日
国鉄水戸動力車労働組合 第二九回定期大会
師走の阿佐ヶ谷駅前での街宣
首都圏から20名が結集
120筆の署名とカンパが寄せられました
11・27集会の星野文昭さんのメッセ−ジ、暁子さん、北原さんの発言、
事務局の経過報告はメッセ-ジ欄を参照ください