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共同代表・弁護団の新年のあいさつ
                            
       星野国賠になんとしても勝利を
                         星野暁子

 あけましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いいたします。
   わたくしの 心の中に
   生きる フミ
   きっと やさしく
   きっと 笑顔で
 こんな年賀状を200枚作った。年賀状を年明けまで引き延ばすこともなく、楽しく終えることができた。
 昨年一年の闘いの中で、やはり大きかったのは「星野国賠訴訟」だ。9月に提出した布施幸彦先生の意見書に続き、12月24日に2名の医師の意見書を提出できた。
 A医師の意見書は、医師として何をしなければならなかったかを、専門医としてきびしく暴き出した。やるべきことをやっていれば、100%に近い確率で文昭は助かったと言ってくれた。
 B柳澤医師の意見書は、当直だった麻酔科医の対応が救命に無関心であることからきており、「刑務所医療は医療ではない」と断言した。
 医師の意見書によって、文昭が殺されたことが明らかになった。今年は医師の証人尋問を勝ち取り、なんとしても勝利したい。
 また今年は、沖縄返還50周年の年でもある。5・15に向けて、星野闘争としても全力で決起していきたい。

       沖縄を戦争の最前線にさせるな
                         狩野満男

 2022年、時代が大きく転換する情勢を迎えました。第二次大戦後、アメリカを基軸とした世界秩序とこの根幹をなす資本主義体制が崩壊の様相をみせています。あらゆる搾取と格差・貧困は極限化し、地球環境の存続すらも奪おうとするこの社会は、いったい何をもたらしてきたのでしょうか。
 「寄ってたかって中国から旨味を吸いつくす」ことで、恐慌の危機をすり抜けてきた世界経済がいよいよ行き詰まる一方、中国の急速な台頭に怯える世界秩序は、戦争の恫喝と脅威を声高に叫び、一触即発の危機を迎えています。いままさに世界は戦争前夜と言っても過言ではなく、その焦点が台湾有事を口実とする、日米安保軍事同盟による対中国侵略戦争への踏み込みなのです。絶対反対しかありません。
 今日、沖縄をめぐる情勢はさらに激しくなりました。沖縄を再び戦争の最前線にしてはなりません。
 本年は切迫する戦争情勢のなかで「復帰」50年をめぐる闘いがいよいよ爆発します。私たちは渋谷闘争に立ち上がった星野さんらの闘いとその地平を、よみがえらせたいと思います。未来を予見し、今日の沖縄の姿にしてはならないと闘った星野さん、大坂さん、奥深山さんの存在を今日の沖縄と団結、連帯する改憲・戦争阻止!大行進の闘いの中に、生き生きとよみがえらせましょう。
 そして何よりも国賠闘争に勝利しましょう。本年はいよいよ星野国賠要望書を裁判所に突きつける闘いを開始したいと思います。

       星野さんの問いかけに答える年に
                      代理人弁護士 岩井信さん

 今年は、星野さんの問いかけに対して、答えを出す年です。
 医師と星野さんのやりとりが、東日本成人矯正医療センタ―に移送された直後のカルテに記載されていました。
医師:(腫瘍(しゅよう)は)でかいので3だろうと思う。(略)手術をやらない選択肢はない。
本人:弁護士がきたので、弁護士にも相談してみる。
医師:相談しても良いが、あまりゆっくりできない。破裂する危険性がある。そうなると出血する。脇腹にどーんと衝撃が加わったり、そうでなくても自然に破裂する可能性もある。(略)
本人:だいたいどのくらいでこの状態になったのでしょう。
 星野さんは、どのくらいでこの「でかい」状態になったのか、どうして「破裂する危険性がある」まで気付かなかったのか、と問いかけています。しかし、医師は、のらりくらり答えて結局、星野さんの問いかけに答えませんでした。
 のらりくらりとして事実を明らかにしないのは、国賠訴訟も同じです。国は、大きな腫瘤(しゅりゅう)発見後、直ちに外部の病院に打診・折衝等をしたが調整がつかなかったと主張し、診療情報提供書を証拠として提出しています。しかし、外部の病院とのやりと
りはカルテに記載されていません。しかも国は、診療情報提供書がどの病院宛かも明らかにしません。そこで、星野さんが徳島大学病院に受診したことがあると話していたことから、裁判所を通じて同病院に事実確認をしたところ受診歴はないという回答でした。
 実は徳島県立中央病院が徳島大学病院の隣にあり、暁子さんが県立中央病院に電話をしてみると、なんと、星野さんの受診歴はあるが、2019年3月の刑務所とのやりとりは見当たらないとの返事でした。国は今回の書面で、ようやく徳島大学病院を「受診した事実はない」と認めました。しかし、真実を隠して来たのは国です。
 今年こそ、のらりくらりと逃げる国をつかまえ、「破裂する危険性がある」状態まで放置したのは誰の責任か、答えを出す年です。

       医師の意見書で国の責任を問う
                      代理人弁護士 土田元哉さん

 星野文昭さんを死に至らしめた国(徳島刑務所・東日本成人矯正医療センター)の責任を問う国家賠償請求訴訟は、訴状提出から3年目を迎えました。今年、大きな山場を迎えることが予想されます。
 その最大の理由の一つが、医師の意見書です。2021年9月9日、布施幸彦医師(ふくしま共同診療所)の意見書が提出されました。布施医師は、徳島刑務所に在監していた当時の星野さんの体重減少や血液検査の結果から、徳島刑務所が星野さんの肝臓がんを早期に発見することができたとするものです。さらに、同年12月24日には、B医師と、肝臓外科専門医による意見書が提出されました。これらの意見書は、東日本成人矯正医療センターでの肝臓がんの切除術の後の術後出血に対し、再開腹術等の適切な措置がされていれば、星野さんが死に至ることはなかったこと等を明確に述べるものです。
 医師の意見書は、それぞれの専門領域から刑務所医療のずさんさを浮き彫りにし、これまでの国の主張(星野さんの肝臓がんの早期発見が行えたとは言えない、肝切除術後に再開腹術など不可能である、仮に再開腹術を行っても「手遅れ」であった等)を正面から批判するものです。国がどのような反論を行うのかが注目されます。
 星野国賠は、主張・立証の集大成を迎えていると思います。星野さんの獄死の真相を明らかにするのはもちろん、受刑者も通常の医療を受けられなければならない、そのことを社会全体が認めるべきです。人として当然に享受すべき医療を「獄中と獄外をつなぐキーワード」(岩井信弁護士)として、取り組んでいきたいと思います。


       星野さんの「魂」と共に勝利を
                      代理人弁護士 和久田修さん

 星野さんの肉体がこの世を去ってから3度目の新年を迎えました。私の弁護士人生は、星野さんと共に始まりました。気がつけば31年の歳月が流れました。この31年間、いろいろなことがあり、その一つ一つを乗り越えていく度に、星野闘争は大きな広がりと深さを持っていったように思います。その中心には、いつも「全ての人が人間らしく生きることのできる社会を」という星野さんの「魂」の叫びがあったことは間違いありません。星野さんの「魂」は現在も生き生きと私たちの中に存在しています。
 「全ての人が人間らしく生きることのできる社会」の対極にある獄中で44年という歳月を生き抜いてきた星野さんがなぜ命を奪われなければならなかったのか。このことを明らかにすることは、「全ての人が人間らしく生きることのできる社会」を作り出すために何を変えねばならないかを明らかにすることです。
 国は星野さんに対して、御用医師であっても擁護できないほどのことをやったことを事実上認めざるを得ない状態に追い詰められているのです。
 今年はこの裁判の勝利を決定づける年です。星野さんと共に勝利の日まで頑張っていきましょう。

       刑務所医療の実態を暴く1年に
                      代理人弁護士 藤田城治さん

 私たちは昨年末、A医師の意見書、B医師の意見書を提出しました。既出のふくしま共同診療所・布施幸彦医師の意見書とあわせたこの3つの医師による意見書で、当方の主張立証の柱が出そろいました。今後、徳島刑務所の担当者、医療センターの主治医等実際に関わった人を法廷に呼び出す証人尋問の段階に進みます。2022年は、星野さんに対する刑務所医療の実態を暴く1年にしたいと思います。
 A医師意見書は、医療センターの責任追及の柱です。A医師は、手術後まもない時の血圧の急低下の段階で、術後出血を疑い検査を速やかに実施すべきこと、再開腹し止血術をしなければならないこと、止血術自体は簡易でリスクは低いことを述べています。
 B意見書は、内科医の立場から、徳島刑務所、医療センターの両者の責任を追及しています。徳島刑務所は、2018年2月から8月の体重減少を見逃してはならず、8月の腹痛を考慮すると、悪性疾患でないことを検査しなければならない義務があることを裏付けています。
 布施意見書、A意見書、B意見書を柱に、国賠に勝利する年にしたいと思います。

       星野さんの無念を晴らそう
                      代理人弁護士 小林博孝さん

 我々原告団から医師の意見書を提出し、被告国側を追い詰めている状況です。
 何回かの法廷の様子からも、裁判所のこちらへの対応も決して悪くはないと感じています。ただ、専門的な争点に深入りすると、被告はそれをいいことに些末な論点を展開し、裁判所もそれに巻き込まれるかもしれません。
 最大の争点は、星野さんが十分な治療を徳島刑務所から受けられず、かつ、その結果として、手術からその後のケアが、到底、医療と言えるものではなかったということを再び確認しておきたいと思います。
 私も弁護士になってすぐに、星野さんのいる徳島刑務所に面会に行って以来、30年が経ちました。その時の星野さんの少し照れたような、はにかんだような、それでいて瞳の奥に眠る闘う意思の強さを感じました。
 その当時は、再審の弁護人との接見には秘密交通権はなく、官吏がずっと会話を筆記する中での話でしたが、再審弁護団ができたことなど、外部の話をしました。15分間という短い時間でしたが、冤罪であることを確信しました。
 その星野さんはもういません。今こそ、星野さんの無念をこの裁判の中で晴らすことが、我々残された者の使命だと思います。
 私も年をとり、体も十分に思うようになりませんが、今後も弁護団の一員として頑張りたいと思います。


123号掲載
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